歴史

野田市

国の重要文化財に指定される旧花野井家住宅へ

茅葺屋根を保存するために薪を焚いて燻しています。燻蒸によって屋根を虫や菌から守り、更に防腐の効果もあるようです。
人吉市

人吉駅のすぐ裏にある大村横穴群を歩く

史跡名勝天然記念物に指定されている大村横穴群。人吉駅のすぐ裏の崖面にあります。古墳時代後期(6世紀~7世紀)に掘られた墳墓だとされています。全部で27基が確認され横穴の外面には様々な裝飾模様が施されています。
鎌倉市

新田義貞の鎌倉攻めに関係する稲村ヶ崎の十一人塚とは?

1333年(元弘3)に起きた新田義貞の鎌倉攻めに関係する史跡です。新田氏の一族である大館宗氏は極楽寺の切通しから鎌倉に攻め込みました。北条方の本間山城左衛門は兵を率いて大館宗氏の本陣に切り込み宗氏以下11名を討ち取ったといいます。
秩父市

狼の狛犬が出迎える猪狩神社へ!どんな由緒があるのかな?

秩父市にある猪狩神社。太古のむかし、東征の道中に訪れた日本武尊が当地でイノシシやシカを狩った後、山上に登りイザナギとイザナミを勧請して小さな祠を建てられた。後世になって日本武尊も合祠して猪狩神社と呼ばれるようになったそうです。
市川市

枯れてしまった稲荷木の一本松と延命地蔵について【千葉の旅】

稲荷木の一本松は排気ガスの影響で枯れ、1973年(昭和48)に伐採されてしまいました。一本松の隣に延命地蔵が安置されています。本八幡駅周辺の開発によって当地に移転してきたそうです。
足尾町

足尾の最奥にあった旧松木村を歩く!なぜ廃集落になってしまったのか?【栃木の旅】

銅山運営に必要な樹木の伐採、製錬所からの煙害などの影響により足尾の山々の生命力が失われてしまいました。村々の農作物や蚕の飼料である桑の木もダメージを受けて住民は生活することすら困難になり別の場所へ引っ越ししていきました。
港区

勝率.962の怪物!最強力士・雷電為右衛門の墓へ【東京の旅】

東京都港区赤坂の報土寺にある雷電為右衛門の墓。雷電為右衛門は信濃国(長野県)生まれの相撲力士です。1767年(明和4)に誕生し、1825年(文政8)に江戸で亡くなりました。
藤沢市

江の島の最奥地には何がある?岩屋洞窟を散策してきた【神奈川の旅】

江の島の最奥地には岩屋という波の浸食で出来た洞窟が2つあります。古くは修験道の開祖『役の行者(役小角)』がここに籠ったと伝わります。後に弁財天が祀られ庶民の信仰対象となり岩屋詣が盛んに行われていました。岩屋詣の訪れた人々が参詣の証に石像を奉納しました。
藤沢市

江島神社の三相女神って何?北条氏の家紋・三つ鱗も江の島の弁財天が由来です【神奈川の旅】

三相女神は運命を司っていることが多いと書きましたが、日本の場合は運命ではなく海や水を司る神様になっています。日本は海に囲まれた島国ですからこの三相女神は古来から多くの信仰を集めてきました。ご利益は海に関するもの『海の安全』『航海の道標』です。
渋川市

三国街道の白井宿と白井城跡を歩く【群馬の旅】

白井宿の真ん中には堰(せき)が流れています。堰について調べてみるとダムのような水をせき止める構造物と出てきますが、ここでは用水路に近い意味だと思います。現在は群馬用水が流れていますが昔は雨水や井戸の水が流れる溝だったようです。
桐生市

私が育った大した思い入れのない新里町を散策してみた【群馬の旅】

悲しいかな、新里町には特筆すべき名所はありません。ということで今回の記事は殆どの方が興味を持たれないであろうマニアックな史跡等を取り上げてまいります。カリビアンビーチとか昆虫の森がそこそこ有名なのかもしれませんが、歴史旅的なblogなので省きました。
前橋市

群馬の偉人!剣聖・上泉信綱の居城だった上泉城へ【群馬の旅】

立地が悪かったせいか群馬県って戦国時代に活躍した有名な武将あまりいません。上泉信綱は一般的にはマニアックな武将かもしれませんが、群馬県では貴重な著名武将なのです。
世田谷区

吉田松陰が祀られる世田谷の松陰神社へ参拝【東京の旅】

御祭神は吉田松陰。1858年(安政5)から1859年(安政6)の安政の大獄で刑死した吉田松陰を門下生であった高杉晋作や伊藤博文等が世田谷区若林に改葬し、1882年(明治15)に門下生達が改葬先の近くに社を築いたことから松陰神社の歴史が始まりました。
甘楽町

織田信雄が築いた楽山園と織田宗家七代の墓【群馬の旅】

織田宗家七代の墓です。織田信雄の血筋は1767年(明和4)に明和事件で出羽高畠(山形県高畠町)に移封されるまでの152年間小幡藩(群馬県甘楽町小幡)を統治していました。しかし立派な五輪塔ですね。さすがは織田宗家といったところでしょうか。
大分市

府内城跡から350mに亘って延びる遊歩公園を散歩してきた【大分の旅】

戦後復興の一環として1951年(昭和26)に整備された遊歩公園。この公園には彫刻や大分県の歴史に関する銅像が展示されています。府内城跡へ訪れとき寄ってみましたのでどんな感じなのか紹介します。