白河小峰城に登城!お城の歴史と人柱伝説・おとめ桜について【福島の旅】

白河小峰城

福島県白河市の白河小峰城に訪問しました。

当日は寒波の影響で大雪が降っていたため辿り着くまでに大変苦労した記憶が残っています。雪道運転にそれほど抵抗はないのですが、やはり少しの油断が大事故に繋がりますので物凄く神経を使います。

到着した瞬間にドッと疲れが来て『こなければよかった…。』と思いましたが、雪化粧された白河小峰城が姿を現した途端に一転、『来てよかった。』に変わりました。

今回は冬の白河小峰城の景色とその歴史、最後に人柱伝説『おとめ桜』について見ていきます。

 

白河小峰城

東北本線の白河駅が目の前にあるので電車が楽です。

新幹線を使えば東京から1時間で、鈍行電車だと3時間程、しかも数回乗り換えがあります。詳細は乗り換え案内で調べてください。

自動車なら東北自動車道の白河ICか白河中央スマートIC(ETC専用)が最寄の高速出口です。

カーナビかgoogle mapで検索すれば出てきます。また市内には白河小峰城の案内板が多くありますので迷うことは少ないでしょう。

 

白河小峰城の始まり

白河小峰城

白河小峰城は14世紀半ば、結城親朝が小峰ヶ岡に築きました。

結城親朝は鎌倉時代後期から南北朝時代に活躍した武将です。

十七日、結城親朝ニ勅シテ、出羽、陸奥ノ兵ヲ擧ゲ、北條高時ヲ討タシム、

史料綜覧.巻5 786頁より

とあるので新田義貞や足利義詮とともに鎌倉幕府と戦ったのでしょう。

 

結城親朝、足利氏ニ應ジ、是日、旗ヲ擧グ、

大日本史料. 第6編之7 705頁より

南北朝時代に入ると初めは南朝(後醍醐天皇)に従いますが↑にあるように北朝(足利尊氏)に寝返っています。

親朝は白河結城氏の出ですが、息子の顕朝に白河結城氏の家督を譲り自身は小峰氏を立ち上げました。

 

戦国時代の白河小峰城

白河小峰城

しばらくは白河結城氏と小峰氏は協力関係にあり支えあってきましたが、戦国時代に入ると歯車が噛み合わなくなっていきます。

1590年、関東地方を大混乱に陥れた小田原征伐で白河結城氏及び小峰氏は戦いに参加しなかったため豊臣秀吉の怒りを買い改易されてしまいます。

改易後、白河結城氏は伊達氏や佐竹氏などの家来になり後の世まで血を繋ぎました。恐らく、今でも子孫が残っていると思います。
新しく白河に入ってきたのは秀吉から会津92石を与えられた蒲生氏郷でした。氏郷は会津に入った後すぐに死んでしまいます。

そして息子の秀行が継ぎます。しかし御家騒動などが原因で宇都宮に移封。

その後、上杉景勝が会津を領することになります。

ところが1600年に関ヶ原の戦いが起き、西軍に味方した上杉氏は米沢に減封され、再び蒲生氏が入ります。

それも長くは続きませんでした。

 

江戸時代の白河小峰城

白河小峰城

江戸時代に入ってからも藩主が目まぐるしく変わります。

・1627年~1643年 丹羽氏が棚倉藩より転封。二本松藩に移封。このときに白河藩が成立。丹羽長重が大改修を行い現在に繋がる白河の基礎を造ったとされる。

・1643年~1649年 榊原氏が館林藩より転封。姫路藩に移封。
・1649年~1681年 本多氏が村上藩より転封。宇都宮藩に移封。
・1681年~1692年 奥平松平氏が宇都宮藩より転封。山形藩に移封。
・1692年~1741年 越前松平氏が山形藩より転封。姫路藩に移封。
・1741年~1823年 久松松平氏が高田藩より転封。桑名藩に移封。
・1823年~1866年 阿部氏が忍藩より転封。棚倉藩に移封。
白河藩は廃藩、天領になる。

詳細は切りがないので割愛します。

 

近代の白河小峰城

白河小峰城

・1868年(慶応4年) 戊辰戦争に巻き込まれる。
・1869年(明治2年) 白河県が設置される。
・1871年(明治4年) 二本松県に纏められ、福島県に改称される。

戊辰戦争の白河口の戦いで舞台になった白河小峰城は大きな被害を受けました。

建物の殆どは焼失して土塁や堀が残るのみとなってしまいました。

上の写真は復元された三重櫓の床にある弾痕です。

白河口の戦いで激しい銃撃戦が行われた林から伐採して復元に使用したらたまたま弾痕があったとのことです。

 

おとめ桜伝説

白河小峰城

白河小峰城には人柱伝説が残っています。

 

白河小峰城

『おとめ桜伝説』と呼ばれています。

 

白河小峰城

おとめ桜

初代白河藩主丹羽長重は、幕府の命により小峰城の大改修を行い、石垣造りの城郭を築き上げました。

その際、本丸の一角にある石垣が、幾度となく崩れ落ちてしまうことから、人柱を立てることになりました。

たまたま、父に会うためにやって来た藩士和知平左衛門の娘「おとめ」が、不運にも捕えられ人柱となったと伝えられています。

小峰城の完成後、人々はおとめの悲運を哀んで桜を植え、これが「おとめ桜」と称されるようになりました。

白河観光協会 おとめ桜説明板より

日本各地の城に人柱伝説は残っています。

本当のところはどうなんでしょうか?

遺骨が発掘されたり信憑性のある史料が残っていれば信じますが、伝説の域を出ないと私は思っています。

 

終わりに

白河小峰城

もっと白河市観光がしたかったのですが、雪のため断念して帰りました。おかげで雪化粧の白河小峰城が見れたので良しとしましょう!

白河の関所や戊辰戦争に関する石碑などなど。一日かけても周ってもいいくらい充実した歴史観光スポットなので、今度は雪が降っていないときに再訪する予定です。

おしまい!

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