玖珠町

角牟礼城に登って来たので景色とともに歴史を紹介しようと思う【大分の旅】

今回は角牟礼城跡へ行ってきました。標高577mの角埋山頂上付近に築城された城なので本丸まで登るのに大変苦労しました。でも本丸付近から眺める景色は美しく澄み渡り、空気が美味しく、登って来た疲れを忘れさせるような爽快さを味わえます。さて、角牟礼城の風景とその歴史を見ていくことにしましょう。
八女市

たまたま通りすがった星野村の石積の棚田を見て思う【福岡の旅】

棚田は急斜面に作られた階段状の田んぼのことをいいます。八女市星野村の広内・上原地区の棚田は約12.6haに137段、425枚の棚田が標高差約230mの急斜面にあります。ここは山間部のため平野が少なく水田面積を確保出来なかったため作られました。起源はわかっていませんが、機械が存在しない時代からあることは間違いありません。
宇都宮市

宇都宮の起源。東国を治めた豊城入彦命が祀られる二荒山神社に参拝【栃木の旅】

北関東の歴史を知るうえで外せない宇都宮、二荒山神社の門前町として栄え今に至っています。パワースポットとしても知られているようです。仁徳天皇の時代、下毛野国は豊城入彦命の子孫とされる奈良別によって治められました。奈良別は先祖の偉業を称え豊城入彦命を荒尾崎に祀りました。838年に現在の場所に遷座されたと伝わっています。
佐賀市

肥前の熊こと龍造寺隆信の生誕地と高伝寺境内の墓に行く!【佐賀の旅】

佐賀市にある龍造寺隆信の生誕地と墓に行ってきました。龍造寺隆信は1529年に肥前国の水ヶ江城で生まれた武将です。龍造寺氏は国人衆として少弐氏に仕えていましたが、隆信の下剋上によって戦国大名まで上り詰めています。肥前国を統一後、更なる勢力拡大を目指し豊後国の大友氏や薩摩国の島津氏と対立するようになりました。
佐賀市

佐賀藩の祖・鍋島直茂の軌跡。胞衣塚と高伝寺の墓所を訪れて【佐賀の旅】

佐賀市にある鍋島直茂の生誕地と墓に行ってきました。鍋島直茂は1538年に肥前国佐嘉郡の本庄館で生まれました。戦国大名の龍造寺氏に従い武功を重ね、主君の龍造寺隆信が戦死したあとは家老として龍造寺氏を主導しています。その後、豊臣秀吉や徳川家康の下で大いに活躍し佐賀藩の藩祖になりました。1618年に病死。享年81。
佐賀市

日本赤十字社の礎を築いた佐野常民の記念館を見学してきた!【佐賀の旅】

佐野常民は1823年に佐賀郡早津江村で生まれました。9歳のときに藩医・佐野家に養子として入りました。常民は藩校の弘道館に入り優秀な成績を収めたそうです。それから江戸、京都、大阪と遊学。帰省すると佐賀藩精煉方の主任に任命されます。1855年からは幕府の長崎海軍伝習所の一期生として蘭方医学や航海術を学んでいます。
北九州市

小倉城へ!デートに最適な観光地ってこういうところをいうんだろうな【福岡の旅】

戦国時代には毛利氏と大友氏が小倉周辺で激しい戦闘を繰り広げています。少なくともその頃には小倉城があったようです。豊臣秀吉による九州征伐の後は毛利勝信が小倉城に入城しています。関ヶ原の戦いで毛利勝信は西軍に味方したため小倉城は東軍(?)の黒田官兵衛に囲まれ降伏、落城しています。毛利勝信は改易されています。
日南市

飫肥城と伊東氏の歴史について。当地を島津氏と80年以上もの間、奪い合った結末は?【宮崎の旅】

飫肥城は宮崎県日南市中央部に位置する飫肥地区にあった城です。築城年や築城者は不明ですが、南北朝時代には存在していたのではないかと考えられています。戦国時代に入ると伊東氏と島津氏が飫肥城を巡り争っています。日向国から追い出された伊東氏は、路頭に迷いながらも最後は飫肥の地を取り戻し、明治維新に至るまで飫肥藩主を務めました。
北九州市

源平合戦から江戸時代に廃城になるまでの門司城の歴史について【福岡の旅】

門司は『もじ』と読みます。門司は九州と本州を結ぶ最短の位置にあることから古来より人の往来があり関所が置かれました。この関所が門司関と呼ばれ、そのまま地名になりました。門司城跡の案内板に『平安時代後期に長門国目代の紀井通資が平知盛の指示を受け城を築いたと云われている。』といったことが書かれていました。
国東市

豊後大友氏の一族、田原氏の居城だった国東半島の安岐城へゆく【大分の旅】

築城者とされる田原氏は豊後大友氏初代・能直の庶子である泰広を祖としています。能直は源頼朝の部下ですので平安時代後期から鎌倉時代の人物です。田原氏は能直の子供から繋がっている家系なので大友三家の一つに数えられています。豊後国図田帳という文書の田原郷の項目に泰広の名前があるので地名から苗字を取ったことがわかります。
古賀市

古河公方の歴史について。殆ど遺構が残っていない古河城へ行く【茨城の旅】

室町時代後期に第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から追い出され古河に本拠を移しています。それから古河公方と呼ばれるようになりました。最初は城の南に館を構えそこを拠点とし、後に古河城へ移ったそうです。 この背景には享徳の乱(1455年~1483年)というややこしい合戦があります。
佐賀市

若かりし頃の大隈重信や江藤新平が通った佐賀藩の藩校・弘道館跡に行ってきた【佐賀の旅】

佐賀の七賢人の内、鍋島直正を除く6名(佐野常民、島義勇、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信)は若かりし頃、弘道館で勉学に励みました。幕末から明治にかけての激動の時代を生き、結果はどうあれ、強い志を胸に混沌の中をひたすらに突き進みました。弘道館の遺構は残っていませんが、跡地に石碑と徴古館という博物館が建っています。
佐賀市

佐賀藩主鍋島氏の万部塔と龍造寺家兼ゆかりの六地蔵を見に行った【佐賀の旅】

佐賀市に万部塔と六地蔵という史跡があり、万部島と呼ばれています。万部とは万部経のことで『追善や祈願などのために、万部の経典を読むこと』の意味があります。万部島は川(堀)に囲まれた島だったようです。万部読経が行われた島ということですね。佐賀の役招魂碑があります。これは明治七年の佐賀の役で戦死した212名を祀る碑です。
日南市

九州の小京都!歴史ある飫肥の城下町を散歩してきました【宮崎の旅】

飫肥の城下町には見学有料の施設が7軒あります。共通券(豫章館、小村記念館、松尾の丸、飫肥城歴史資料館、旧高橋源次郎家、旧山本猪平家、商家資料館。じっくり飫肥を観光するなら共通券を購入すべきです。 私は飫肥城の駐車場を利用したので近くにあった豫章館で券を購入しました。
太田市

藪塚温泉神社の『温泉神社と薬師様』と『新田義貞の隠し湯』伝説について【群馬の旅】

案内板には『温泉』と名付けられた神社は群馬県内で藪塚の温泉神社だけしかないと書かれていました。かつては温泉神社ではなく湯権現と呼ばれていたとのこと。某県みたいに温泉県と名乗っていいくらいの温泉が湧き出る群馬県ですから、他にも温泉神社がありそうな気がしますが。それでは、藪塚温泉にまつわる二つの伝説があるのでご紹介します。
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