国宝

長崎市

日本キリスト史に欠かせない国宝・大浦天主堂の歴史について【長崎の旅】

国宝・大浦天主堂は1865年にプティジャン神父を中心として創建された日本国内最古の現存する教会です。1597年に長崎の地で殉教した日本二十六聖人を称えるために造られたこの天主堂は禁教令で縛られていた隠れキリシタンを解放することに繋がり、日本キリスト史の中で取分け重要な歴史的建造物とされています。
彦根市

国宝・彦根城の歴史と井伊氏について!あとひこにゃん!【滋賀の旅】

日本国宝5城の一つに数えられる彦根城。滋賀県(近江国)は京都が近く東国と西国の結び目に位置していたため重要な要所として発展しました。戦国時代の覇者たちは近江の重要性を理解していたので、織田信長は丹羽長秀や羽柴秀吉、秀吉は石田三成、徳川家康は井伊直政と名実共に優れた武将をここに配置し天下を狙いました。
臼杵市

国宝の臼杵磨崖仏は人生の流れを語る聖域なのです!【大分の旅】

大分県は『まがいぶつ県』といっても過言ではない。その数は日本一クラスです。近畿、中部地方から広まった磨崖仏文化は徐々広がり全国に知られるようになりました。今回の訪問先である臼杵磨崖仏は多くある磨崖仏の中で唯一国宝に指定されています。私は様々な磨崖仏を見てきましたが、ここのそれは特別!
豊後高田市

国宝・富貴寺と国東半島の六郷満山について調べたよ【大分の旅】

大分県には国宝建造物が2棟あります。八幡総本宮の宇佐神宮、そして天台宗寺院の富貴寺。富貴寺を含め国東半島に点在する寺院を総称して『六郷満山』と呼び、それらは古来から山岳信仰、神道、仏教が入り混じった独特な宗教観を持ち現在に至っています。
下関市

国宝擁する功山寺と幕末の風雲児・高杉晋作の回天義挙について【山口の旅】

功山寺は1327年に創建された寺院です。現在の宗派は曹洞宗ですが創建当時は臨済宗で金山長福寺と称されました。鎌倉、南北朝時代は後醍醐天皇や足利尊氏など、室町時代は周防大内氏から庇護を受けてきました。毛利元就から攻め込まれた大内義長は1557年に功山寺で自刃しています。その後、寺は一時荒廃します。
犬山市

国宝・犬山城を歩く!その歴史を景色と共に振り返る【愛知の旅】

犬山城は織田信長の叔父・織田信康が築城しました。1547年に信長の父・信秀が美濃の斎藤道三を攻めた際、従軍した織田信康は討ち死にしてしまいます。そして信康の息子、織田信清が犬山城に入城。織田信秀が亡くなり信長の代になると最初こそ従っていた信清ですが次第に仲が険悪になり対立。信清は信長に敗北し甲斐へ逃亡。
姫路市

国宝であり世界遺産でもある白鷺城こと姫路城を観光してきた!【兵庫の旅】

国宝に指定されている天守は5城。総称して国宝5城と呼びます。中でも姫路城は世界遺産にも指定されている数少ない建築物です。奈良県の法隆寺、広島県の厳島神社、栃木県の日光寺社(東照宮)などが国宝と共に世界遺産に認定されています。姫路城をぐるっと観光してきましたので歴史と共に風景を見ていきましょう。
松本市

国宝・松本城の歴史について!土砂降りの松本城をめぐる【長野の旅】

信玄が小笠原領に侵攻。信濃国守護・小笠原長時は林城・深志城を信玄に奪われ追放されてしまいます。深志城は武田氏の支配下に置かれ、林城は廃城となり、深志城が長野北部の重要拠点に。 武田氏が滅亡した後、信長は木曽義昌に深志城の城代を任じました。信長が本能寺の変で横死すると旧織田領地の奪い合いが始まります。