檜原村

後北条氏の檜原城跡と吉祥寺の十三仏巡りについて【東京の旅】

吉祥寺を登ると十三仏巡拝入口が見えてきます。十三佛信仰は古くからある日本独自の民間信仰です。人間は亡くなってから7日ごとに前世での罪を裁かれるそうです。裁判を担当する十三の仏をここでは参拝することが出来ます。十三佛信仰はそれぞれの日を担当する裁判官に故人が無事に成仏できるよう祈る儀式です。
港区

芝大門にある増上寺の歴史と徳川将軍家墓所の謎について調べてみた【東京の旅】

大門にある増上寺は小田原征伐後に関東へ入部した徳川家康が菩提寺と定めた浄土宗の寺院です。境内に徳川将軍家墓所があるのですが、何故か15代将軍全員のお墓はありません。何か理由はあるのだろうか?ということで今回は増上寺の歴史と菩提寺なのに将軍全員の墓がない理由について見ていくことにしましょう。
鹿児島市

薩摩島津氏15代目・貴久が築城した内城へ!訪問しての感想は『もう少し情報が欲しかった』です【鹿児島の旅】

島津貴久はそれまでの居城だった清水城を出て内城を築城します。貴久の長子である義久もここを居城としました。薩摩藩初代藩主の島津忠恒が鶴丸城(鹿児島城)を築くと内城は使用されなくなり大龍寺が建立されます。大龍の名は島津貴久の戒名『南林寺殿大中良等庵主』と島津義久の法号『龍伯』から取られています。
伊勢崎市

ギャンブル運が上がる?国定忠治の墓にお参りしてきた【群馬の旅】

『赤城の山も今夜を限り…。』国定忠治は江戸後期に活躍した侠客、博徒で現在の群馬県伊勢崎市国定町に生まれました。国定忠治の本名は長岡忠次郎です。国定町の養寿寺にある彼の墓には『とある御利益』があると聞き参拝してきました。『とある御利益』とは?そして彼はどのような人物だったのか?
藍住町

盛者必衰の…。細川・三好の両名家が治めた勝瑞城の歴史を振り返る【徳島の旅】

阿波細川氏、畿内の覇者・三好長慶の一族が本拠とした勝瑞城。かつてはここを中心として阿波国の政治や経済、文化などが成長し城下町が繁栄しました。築城時期や築城者は定かではありませんが、十五世紀中頃に細川氏が守護所を土成町の秋月から勝瑞に移した…(後略)国指定史跡 勝瑞城館跡 案内板より
世田谷区

豪徳寺にある井伊直弼の墓と招き猫物語について【東京の旅】

大谿山(だいけいざん)豪徳寺の前身は、1480年に世田谷城を治めていた吉良政忠が亡き伯母を弔うために建てた小さな庵『弘徳院』だと言われています。初めは臨済宗でしたが、門庵宗関和尚(もんなんそうかん)によって曹洞宗に改宗されました。ちなみに和尚は今川義元の孫で泉岳寺の開祖です。
牛久市

ギネスブックに載った世界一高い牛久大仏に行ってきた【茨城の旅】

茨城県の牛久市には浄土真宗東本願寺派が建てた巨大な阿弥陀仏・牛久大仏があります。全長はなんと120m!青銅(ブロンズ)立像としては世界最大でギネスブックに載る程の大きさです。どんなものかと?ずっと気になっていたので訪問してきました!大仏内部は展示場になっているのでそれも含めてご紹介します。
高松市

三好一族が守った讃岐国の十河城へ!鬼十河・一存の活躍と十河存保の最後【香川の旅】

十河一存は三好元長の四男として生を受けました。十河城主の十河存春の跡継ぎが早く亡くなってしまったため一存は養子に入ります。兄の長慶が頭角を現すとそれを補佐し各地で転戦。大いに活躍したことから鬼十河の二つ名で呼ばれ敵をビビらせました。しかし、病気には勝てず30歳の若さで命を落としてしまいます。
みなかみ町

天下の義人って?茂左衛門地蔵尊に参拝してきた!【群馬の旅】

群馬県の方なら皆さんご存知でしょう。上毛かるたの『て』天下の義人・茂左衛門。ところで茂左衛門が何時代の人でなんで天下の義人と呼ばれているのかを知っている方は少ないのではないでしょうか? というわけで月夜野にある茂左衛門地蔵尊千日堂に行って勉強してきました。それでは参りましょう!
高岡市

奈良、鎌倉に並ぶ?!日本三大大仏と称される高岡大仏に行ってきた!【富山の旅】

日本三大大仏なる言葉があります。内二つは奈良と鎌倉の大仏で、これは余りに有名ですし、歴史的な価値が高い大仏ですので異論はありません。では、あと一つは?
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