鳥取市

鹿野城の歴史と琉球守・亀井茲矩について調べたので紹介する!【鳥取の旅】

鳥取市にある鹿野城跡へ行ってきました。 いちまる 私は『DMM GAMEの御城プロジェクトRE』というゲームで鹿野城を知りました。 今はちょっと事情が異なりますが、以前は初心者必須の強キャラクターで...
朝来市

竹田城の歴史について!天空の城?日本のマチュピチュってどんなところ?【兵庫の旅】

竹田城は朝来市にあるの古城山山頂に築かれた山城です。古城山が伏せた虎に似た外観をしていることから虎臥城とも呼ばれたりします。江戸時代後期に書された和田上道氏日記では嘉吉年間に安井ノ城が築かれたとあります。安井ノ城は竹田城のことを指します。竹田城の始まりについては口碑が残るのみで不明な点が多いのです。
福岡市

福岡城へ!城の起源と歴代藩主の黒田氏についてザックリ紹介する【福岡の旅】

江戸時代前期に黒田長政によって福岡城は築城されました。以後、明治維新に至るまで黒田氏が福岡城を居城とし、約43万石の領地を治めることになります。明治期の廃城令で存城処分となりますが、城内の多くの建物は移転もしくは撤去されてしまいました。現在、南二の丸・多聞櫓が国の重要文化財に指定され、他にも…。
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前橋市

群馬県民の内紛?!蚊帳の外の桐生市民が『前橋vs高崎』の歴史を振り返る【群馬の旅】

群馬出身の私は常々こう思っていました。高崎市は前橋市と比べて人口が多く、明らかに都会の雰囲気。新幹線通ってるし。何も知らない人が見たら群馬の中心は高崎市と思うはず。さて、それでは高崎市ではなく前橋市が県庁所在地である理由を、前橋城跡とこの問題に所縁のある場所と共に一緒に見ていきましょう。
熊本市

加藤清正公が築城した熊本城へ。隈本から熊本に改称した理由は?【熊本の旅】

肥後国誌に隈本の由来そして隈本から熊本に改称された理由が書かれています。少し長いですが引用します。肥後国誌でも俗説と断っているので本当のところどうだったのかはわかりません。『阝に畏れる』を縁起悪いと考えた理由は何となく理解できます。『熊』は強くて勇ましいという印象からでしょうか?
明石市

明石城へ!宮本武蔵由来の庭園と重文・坤櫓&巽櫓を見に行った【兵庫の旅】

1618年(元和4年)、小笠原忠真が徳川秀忠の指示を受け明石城の築城を開始しました。築城の目的は西国の諸大名を牽制するため。戦国の世が終わったとはいえ、まだまだ油断ならないと考えたのでしょう。苦労して明石城を築いた小笠原忠真ですが、1632年(寛永9年)に北九州の小倉に移封となってしまいます。
七尾市

日本五大山城に数えられる七尾城を散策してきたので紹介するよ!【石川の旅】

七尾城は石川県と富山県に跨る石動山の北端に築城された山城です。能登国の守護・畠山氏の居城として知られています。七尾という名前は主郭がある尾根から枝分かれする7つの尾根が由来とのこと。能登に訪問した京都・東福寺の彭叔守仙(ほうしゅくしゅせん)が独楽亭記という詩を詠み当時の七尾城の様子を伝えています。
姫路市

国宝であり世界遺産でもある白鷺城こと姫路城を観光してきた!【兵庫の旅】

国宝に指定されている天守は5城。総称して国宝5城と呼びます。中でも姫路城は世界遺産にも指定されている数少ない建築物です。奈良県の法隆寺、広島県の厳島神社、栃木県の日光寺社(東照宮)などが国宝と共に世界遺産に認定されています。姫路城をぐるっと観光してきましたので歴史と共に風景を見ていきましょう。
大分市

鶴崎の歴史と乙津川の戦いを勝利に導いた妙林尼について【大分の旅】

大分市にある鶴崎城は大野川と乙津川に挟まれた中州に位置し、北側は別府湾に面する天然の要害に築かれました。古くから海上交易が盛んに行われ要所として発展。鎌倉時代から戦国時代末期までは豊後国の大名・大友氏によって支配されました。鶴崎の地は配下の吉岡氏に与えられ、鶴崎城が築城されたと云われています。
檜原村

後北条氏の檜原城跡と吉祥寺の十三仏巡りについて【東京の旅】

吉祥寺を登ると十三仏巡拝入口が見えてきます。十三佛信仰は古くからある日本独自の民間信仰です。人間は亡くなってから7日ごとに前世での罪を裁かれるそうです。裁判を担当する十三の仏をここでは参拝することが出来ます。十三佛信仰はそれぞれの日を担当する裁判官に故人が無事に成仏できるよう祈る儀式です。
松本市

国宝・松本城の歴史について!土砂降りの松本城をめぐる【長野の旅】

信玄が小笠原領に侵攻。信濃国守護・小笠原長時は林城・深志城を信玄に奪われ追放されてしまいます。深志城は武田氏の支配下に置かれ、林城は廃城となり、深志城が長野北部の重要拠点に。 武田氏が滅亡した後、信長は木曽義昌に深志城の城代を任じました。信長が本能寺の変で横死すると旧織田領地の奪い合いが始まります。
上田市

親子そろって徳川家康をビビらせた真田氏と上田城について【長野の旅】

信州真田氏は優秀な人間を多く輩出しています。真田氏の礎を築いた真田幸隆。武田信玄に仕え武田二十四将の一人に数えられました。幸隆の長男・信綱と次男・昌輝は武勇に優れ信玄に高く評価されていたと伝わります。信綱は兎に角戦が強く前線で活躍しましたが、長篠の戦いで討ち死にしてしまいました。
東吾妻町

真田幸村のお爺さん・幸隆が城主だった天然要害・岩櫃城跡へ!【群馬の旅】

岩櫃城の築城者および築城年はわかっていません。一説によると1400年くらいに越前国(福井県)からやってきた斎藤憲行という人物が築城したと云われています。斎藤氏は上杉謙信の後ろ盾を得て、吾妻一帯を掌握するほどの力を付けました。しかし1560年代に上野侵攻を目論む武田信玄に目を付けられてしまいます。
みなかみ町

名胡桃城事件とは?『豊臣vs後北条』小田原征伐のきっかけはここにあった!【群馬の旅】

名胡桃城は築城から約10年で廃城になってしまった短命な城ですが、その歴史は濃いです。と言うのも、戦国時代を語るに外せない大戦の引き金になった事件がこの城で起きているからです。さて、名胡桃城で何があったのか?歴史を振り返ってみましょう。
鹿児島市

薩摩島津氏が築城した鹿児島城へ行ってきた!その歴史を簡単に紹介する【鹿児島の旅】

薩摩島津氏の初代は平安時代後期から鎌倉時代に活躍した惟宗忠久という人物です。忠久は源頼朝から南九州の島津荘の下司職に任じられます。その土地の名前から代々島津氏を名乗るようになりました。『中世島津氏研究の最前線』によると鎌倉期の島津本宗家は鹿児島県出水市の木牟礼城を拠点にしたと書かれています。
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