最近見直されている武田信玄の息子・勝頼が活躍!膳城素肌攻めとはどんな戦いだったのか?【群馬の旅】

群馬県赤城山の南麓には意外と多くの城跡があります。

剣聖・上泉信綱が生まれたとされる上泉城、大胡氏が居城にした大胡城、豊かな水に囲まれた女淵城、槍の達人・山上道及がいた山上城、そして今回の膳城。

かなりマニアックなスポットなので情報が少ないので写真メインの記事になります。

『群馬県にはこんなところもあるのよ~』って知っていただければ幸いです。行く価値があるのかと問われれば『微妙かな…。』とお答えするしかないですが、そんな日の当たらないスポットへ訪れるのが私の数少ない楽しみの一つなのです。

それでは参りましょう!

 

膳城跡へのアクセス方法

膳城跡

膳城跡へのアクセスは電車なら上毛電鉄を使って膳駅で下車して10分ほど歩けば付きます。

車ならカーナビで粕川歴史民俗資料館を調べれば多分行けると思います。

まぁ↓の地図を参考にしてください。

 

膳城跡について

膳城跡

膳城の築城年代は不詳です。

鎌倉時代の文書に”善氏”の名が出ているようですが、この場所に館を構えていたのかはわかっていません。

室町時代から戦国時代の書物にもたびたび出現し上野国(群馬県)を狙っていた武田、上杉、後北条の戦記物には度々”善氏”が見れることから現在の膳城は戦国時代の中頃に現在の形になったと推測されています。

 

膳城跡

いつの世も酒で身を滅ぼす愚か者がいるものです。

武田軍はまだ武装していなく平服で彼らを迎え撃つことになりました。

 

膳城跡

全盛期から比べれば衰えたといえ屈強な武田軍は難無く膳城の兵士を蹴散らしていきます。

そして『殿!このまま攻め込んでしまいましょう!!!』と平服のまま膳城を攻略してしまいました。

現在の私たちは『阿呆な話だな~。』と笑えますが、当時の膳城内の酔っぱらっていない兵士は相当絶望したでしょうね。

まぁ、酔っ払いが出ていかなくても恐らく落城していたでしょうが。この戦いで膳城は廃城になったと伝わっています。

 

終わりに

膳城跡

これは粕川歴史民俗資料館。

この日は休館日でした…。この辺りの民俗資料や考古資料を展示されています。

実家のすぐ近くにあるので帰省した際に訪れてみようかと思っています。

おしまい!

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