歴史

国東市

豊後大友氏の一族、田原氏の居城だった国東半島の安岐城へゆく【大分の旅】

築城者とされる田原氏は豊後大友氏初代・能直の庶子である泰広を祖としています。能直は源頼朝の部下ですので平安時代後期から鎌倉時代の人物です。田原氏は能直の子供から繋がっている家系なので大友三家の一つに数えられています。豊後国図田帳という文書の田原郷の項目に泰広の名前があるので地名から苗字を取ったことがわかります。
古賀市

古河公方の歴史について。殆ど遺構が残っていない古河城へ行く【茨城の旅】

室町時代後期に第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から追い出され古河に本拠を移しています。それから古河公方と呼ばれるようになりました。最初は城の南に館を構えそこを拠点とし、後に古河城へ移ったそうです。 この背景には享徳の乱(1455年~1483年)というややこしい合戦があります。
佐賀市

若かりし頃の大隈重信や江藤新平が通った佐賀藩の藩校・弘道館跡に行ってきた【佐賀の旅】

佐賀の七賢人の内、鍋島直正を除く6名(佐野常民、島義勇、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信)は若かりし頃、弘道館で勉学に励みました。幕末から明治にかけての激動の時代を生き、結果はどうあれ、強い志を胸に混沌の中をひたすらに突き進みました。弘道館の遺構は残っていませんが、跡地に石碑と徴古館という博物館が建っています。
佐賀市

佐賀藩主鍋島氏の万部塔と龍造寺家兼ゆかりの六地蔵を見に行った【佐賀の旅】

佐賀市に万部塔と六地蔵という史跡があり、万部島と呼ばれています。万部とは万部経のことで『追善や祈願などのために、万部の経典を読むこと』の意味があります。万部島は川(堀)に囲まれた島だったようです。万部読経が行われた島ということですね。佐賀の役招魂碑があります。これは明治七年の佐賀の役で戦死した212名を祀る碑です。
日南市

九州の小京都!歴史ある飫肥の城下町を散歩してきました【宮崎の旅】

飫肥の城下町には見学有料の施設が7軒あります。共通券(豫章館、小村記念館、松尾の丸、飫肥城歴史資料館、旧高橋源次郎家、旧山本猪平家、商家資料館。じっくり飫肥を観光するなら共通券を購入すべきです。 私は飫肥城の駐車場を利用したので近くにあった豫章館で券を購入しました。
太田市

藪塚温泉神社の『温泉神社と薬師様』と『新田義貞の隠し湯』伝説について【群馬の旅】

案内板には『温泉』と名付けられた神社は群馬県内で藪塚の温泉神社だけしかないと書かれていました。かつては温泉神社ではなく湯権現と呼ばれていたとのこと。某県みたいに温泉県と名乗っていいくらいの温泉が湧き出る群馬県ですから、他にも温泉神社がありそうな気がしますが。それでは、藪塚温泉にまつわる二つの伝説があるのでご紹介します。
福知山市

丹波国・福知山城へ!明智光秀の城というイメージがあったけど。たった3年で…。【京都の旅】

福知山城の前身は丹波の塩見頼勝が築いた横山城だといわれています。織田信長から丹波攻略の命を受けた明智光秀は1575年と1579年に丹波攻めを行う。第一次丹波攻めは敵将・赤井直正の活躍により大敗。しかし1578年に赤井直正が病死すると明智軍は敵の黒川城の支城を次々に落としていき丹波を平定させます。
港区

日本地図で有名な伊能忠敬の西国測量の基点、高輪大木戸跡へ行ってきた【東京の旅】

港区高輪にある江戸時代の史跡・高輪大木戸跡を見に行きました。大木戸とは簡易関所のことで、高輪大木戸は旧東海道の両側に石垣を設け、江戸の南玄関口として人々の出入りを監視しました。また人が多く集まる場所なので高札場としても活用されています。実測の日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬は西日本の測量の際に高輪大木戸を基点にしました。
今治市

瀬戸内海の大海賊、村上武吉!海賊王におれは…。村上水軍博物館へ訪れて【愛媛の旅】

村上水軍博物館は14世紀中頃(南北朝時代)から瀬戸内海で活躍した村上氏についての博物館です。戦国時代に宣教者のルイス・フロイスが村上氏の水軍を見て『日本最大の海賊』と言ったとのこと。 海賊といっても略奪行為ばかりを行っていたわけではなく、通行料を徴収して海上での安全保障を約束したり水先案内人を務めたりしていました。
篠山市

池田輝政や築城名人の藤堂高虎によって築かれた篠山城!江戸時代に築城された理由は何?【兵庫の旅】

篠山城は1609年(慶長14)に山陰道の要所であった篠山盆地の丘陵・笹山に築かれました。築城の理由は大阪城を拠点とする豊臣氏の包囲、西国の諸大名への牽制だったとされています。普請総奉行は池田輝政、縄張は築城名人の藤堂高虎が担当。加藤嘉明や福島正則などの外様大名に築城工事を任せることによって外樣の経済力低下を狙いました。
宇都宮市

富士山が見える!飛山城と築城者の芳賀氏の歴史について【栃木の旅】

飛山城跡は飛山城史跡公園として整備されています。園内には掘立柱建物や竪穴建物、堀や土塁を復元したものがあり当時の雰囲気を少しだけ再現しています。西側には鬼怒川が流れ、空気が澄んだ冬場の早朝や夕方に富士山が見えます。烽家は『のろしをあげる施設』ということ。飛山の名の由来は烽家から来ているのではないかと云われています。
別府市

貴船城と白へび!金運パワースポットでご利益を得る?【大分の旅】

別府八湯の一つ鉄輪温泉を見下ろす丘の上に貴船城はあります。由来は平安時代末期に活躍した源為朝がこの場所に砦を建てたという伝説からです。ここの見所は城の守り神として祀られている金白龍王という白へびです。へびは古代インドで生まれた川の神様である弁財天の使いといわれています。弁財天は農業の神様でもあり財の神様でもあるため、
国東市

国東半島の両子山と両子寺七不思議について【大分の旅】

大分県北東部にある国東半島は自然に恵まれた美しい場所です。半島中心には両子山が聳え、その頂上付近に両子寺があります。今回は両子山と両子寺の七不思議について紹介を致しましょう。それでは参ります!次は七不思議を見ていきましょう。殆どが両子寺境内にあります。
杵築市

杵築城跡の資料館にある軍人の遺品を見て俄然杵築に興味が湧いた【大分の旅】

1394年、杵築城は豊後大友氏の一族である木付氏によって築城されました。東に海、南北は川に挟まれた天然の要害として知られています。木付氏は大友氏に殉じた忠義の一族だったようです。意外と大友氏って忠義の将が多いです。だからこそ全盛期にあれだけの領地を抱えることが出来たのでしょう。最後は真っ逆様に落ちていきましたけど…。
長門市

童謡詩人・金子みすゞの記念館に行って。彼女の人生についてまとめました!【山口の旅】

山口県の金子みすゞ記念館に行ってきました。金子みすゞの名前は知っていました。詩人だということも。それ以外は何も知りませんでした。今回の訪問で彼女の人生に触れることが出来ましたので、後学のためにまとめようと思います。金子みすゞは1903年4月11日に山口県大津郡仙崎村で生まれました。本名は『金子テル』。兄と弟がいます。