佐賀藩の藩校・弘道館。
佐賀の七賢人の内、鍋島直正を除く6名(佐野常民、島義勇、副島種臣、大木喬任、江藤新平、大隈重信)は若かりし頃、弘道館で勉学に励みました。
彼らは幕末から明治にかけての激動の時代を生き、結果はどうあれ、それぞれの強い志を胸に混沌の中をひたすらに突き進みました。
弘道館の遺構は残っていませんが、跡地に石碑と徴古館という博物館が建っています。
弘道館跡の場所
長崎自動車道の佐賀大和ICを下りて佐賀市街方面へ進みます。
道なりにしばらく進み与賀町の交差点を左折。郵便局を越えた先の左手にあります。
徴古館に駐車場があるようです。私は別の有料駐車場に停めたので詳しくはわかりません。
JR佐賀駅から歩いて行けますが少し遠いです。
弘道館は佐賀藩・八代藩主の鍋島治茂が1781年に創設しました。
十代藩主・鍋島直正(佐賀の七賢人の一人)は教育を重要視し弘道館を整備拡張、教育予算を大幅に増額させます。
そして学び育った優秀な人材を出自問わずに登用します。
学課は儒学・和学・漢学・兵学・筆道・習礼・算術・槍術・剣術・柔術・馬術・砲術・水練・蘭学(洋学を含む)、さらに洋式操練も加え、厳しく文武に研鑽を積ませています。
藩校 弘道館 案内板より
弘道館からの優秀な人材、名君・鍋島直正の先見の明が佐賀藩を他藩よりもいち早く近代化させることに成功します。
薩長土肥という言葉があります。
薩摩(鹿児島)、長州(山口)、土佐(高知)、肥前(佐賀)のこと。幕末から明治維新に導いた雄藩を合わせて薩長土肥いいます。勉強不足な私は薩長土までは理解出来ましたが、ここに肥前が入る意味がわかりませんでした。
戊辰戦争で佐賀藩は新政府軍に加わり最新式の兵器を装備して大いに活躍。
その後、鍋島直正が育てた優秀な人材が明治新政府の中枢を担います。
例えば内閣総理大臣に2回なった大隈重信、司法制度の基礎をつくった江藤新平など。
また鍋島直正も議定、開拓使初代長官に就任しています。
終わりに
佐賀藩といえば葉隠が有名です。
『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』の文言で有名なやつです。
葉隠は佐賀藩の教育に大きく関わるので書こうと思いましたが、如何せん知識が足りないため断念しました。
時間があれば葉隠に関する本を読んで勉強しようかなと思っています。
おしまい!