歴史

檜原村

後北条氏の檜原城跡と吉祥寺の十三仏巡りについて【東京の旅】

吉祥寺を登ると十三仏巡拝入口が見えてきます。十三佛信仰は古くからある日本独自の民間信仰です。人間は亡くなってから7日ごとに前世での罪を裁かれるそうです。裁判を担当する十三の仏をここでは参拝することが出来ます。十三佛信仰はそれぞれの日を担当する裁判官に故人が無事に成仏できるよう祈る儀式です。
港区

芝大門にある増上寺の歴史と徳川将軍家墓所の謎について調べてみた【東京の旅】

大門にある増上寺は小田原征伐後に関東へ入部した徳川家康が菩提寺と定めた浄土宗の寺院です。境内に徳川将軍家墓所があるのですが、何故か15代将軍全員のお墓はありません。何か理由はあるのだろうか?ということで今回は増上寺の歴史と菩提寺なのに将軍全員の墓がない理由について見ていくことにしましょう。
草津町

群馬で一番有名な観光スポット草津温泉!温泉情報や歴史について【群馬の旅】

草津温泉は白根山の火山活動により誕生した温泉で、6つの主力源泉から一分間に約30000ℓの温泉が湧き出ています。湧出量日本一は別府温泉なのか草津温泉なのか?湧出量は圧倒的に別府温泉が多いです。しかしそれは掘削やポンプを使っての話。草津温泉は自然に湧き出す温泉の量が日本一なのです。
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松本市

国宝・松本城の歴史について!土砂降りの松本城をめぐる【長野の旅】

信玄が小笠原領に侵攻。信濃国守護・小笠原長時は林城・深志城を信玄に奪われ追放されてしまいます。深志城は武田氏の支配下に置かれ、林城は廃城となり、深志城が長野北部の重要拠点に。 武田氏が滅亡した後、信長は木曽義昌に深志城の城代を任じました。信長が本能寺の変で横死すると旧織田領地の奪い合いが始まります。
上田市

親子そろって徳川家康をビビらせた真田氏と上田城について【長野の旅】

信州真田氏は優秀な人間を多く輩出しています。真田氏の礎を築いた真田幸隆。武田信玄に仕え武田二十四将の一人に数えられました。幸隆の長男・信綱と次男・昌輝は武勇に優れ信玄に高く評価されていたと伝わります。信綱は兎に角戦が強く前線で活躍しましたが、長篠の戦いで討ち死にしてしまいました。
東吾妻町

真田幸村のお爺さん・幸隆が城主だった天然要害・岩櫃城跡へ!【群馬の旅】

岩櫃城の築城者および築城年はわかっていません。一説によると1400年くらいに越前国(福井県)からやってきた斎藤憲行という人物が築城したと云われています。斎藤氏は上杉謙信の後ろ盾を得て、吾妻一帯を掌握するほどの力を付けました。しかし1560年代に上野侵攻を目論む武田信玄に目を付けられてしまいます。
みなかみ町

名胡桃城事件とは?『豊臣vs後北条』小田原征伐のきっかけはここにあった!【群馬の旅】

名胡桃城は築城から約10年で廃城になってしまった短命な城ですが、その歴史は濃いです。と言うのも、戦国時代を語るに外せない大戦の引き金になった事件がこの城で起きているからです。さて、名胡桃城で何があったのか?歴史を振り返ってみましょう。
鹿児島市

薩摩島津氏が築城した鹿児島城へ行ってきた!その歴史を簡単に紹介する【鹿児島の旅】

薩摩島津氏の初代は平安時代後期から鎌倉時代に活躍した惟宗忠久という人物です。忠久は源頼朝から南九州の島津荘の下司職に任じられます。その土地の名前から代々島津氏を名乗るようになりました。『中世島津氏研究の最前線』によると鎌倉期の島津本宗家は鹿児島県出水市の木牟礼城を拠点にしたと書かれています。
甲府市

武田神社に参拝してきた!信玄公が祀られる勝運パワースポットってどんなところ?【山梨の旅】

武田神社は武田信玄ゆかりの地。ここは戦国時代に活躍した武田氏の居館・躑躅ヶ崎館の跡地に建立された神社です。御祭神はもちろん武田信玄。勝負強さや勝運の御利益があるパワースポットとして多くの祈願者が参拝します。それでは武田神社の風景を見ていきましょう。
岐阜市

岐阜城の歴史と美濃のマムシこと斎藤道三の国盗りについて【岐阜の旅】

稲葉山城(岐阜城)を拠点にした斎藤道三の一代国盗りはあまりに有名です。でも最近の研究では親子二代で国を乗っ取った説が有力になっているようです。ですので斎藤道三の前半生は父の庄五郎の後半生と入り混じっていてかなりややこしいことになっています。今回は岐阜城の歴史と斎藤道三の国盗りについて書いていきます。
竹田市

滝廉太郎の生涯と歌曲・荒城の月の歌詞の意味について【大分の旅】

滝廉太郎は学童時代に過ごした大分県竹田市の城下町や岡城跡での思い出を懐かしみ歌曲・荒城の月を作曲しました。彼にとって竹田市は心のふるさとだったようで、岡城をモチーフに作曲されたと云う荒城の月には『楽しかったあの頃はもう戻ってこない。』という物悲しさが曲調に込められています。
鹿児島市

薩摩島津氏15代目・貴久が築城した内城へ!訪問しての感想は『もう少し情報が欲しかった』です【鹿児島の旅】

島津貴久はそれまでの居城だった清水城を出て内城を築城します。貴久の長子である義久もここを居城としました。薩摩藩初代藩主の島津忠恒が鶴丸城(鹿児島城)を築くと内城は使用されなくなり大龍寺が建立されます。大龍の名は島津貴久の戒名『南林寺殿大中良等庵主』と島津義久の法号『龍伯』から取られています。
伊勢崎市

ギャンブル運が上がる?国定忠治の墓にお参りしてきた【群馬の旅】

『赤城の山も今夜を限り…。』国定忠治は江戸後期に活躍した侠客、博徒で現在の群馬県伊勢崎市国定町に生まれました。国定忠治の本名は長岡忠次郎です。国定町の養寿寺にある彼の墓には『とある御利益』があると聞き参拝してきました。『とある御利益』とは?そして彼はどのような人物だったのか?
前橋市

色んなご利益があるとされるパワースポット・赤城神社に参拝してきた!【群馬の旅】

少なくとも赤城神社は平安時代には存在していたようですが、創立についてはよくわかっていません。当初は山頂付近ではなく麓の村落に創立されたものではないかと云われています。鎌倉時代に入ると山籠もりなどで修行する修験道と仏教が混じり日本特有の独特な宗教観を呈するようになります。
豊後大野市

平家物語に登場する緒方惟栄を紹介!豊後大野市の彼の館跡に訪れて【大分の旅】

豊後大野市緒方に緒方三郎惟栄の館跡はあります。惟栄は平安時代後期から鎌倉時代の武将です。平家物語の中で活躍が見れます。館跡の様子と彼が平家物語でどのように描かれているのか紹介致します。緒方惟栄は源義経と縁深い武将でした。平家討伐で活躍した源義経は色んな事情から兄の頼朝に疎まれて命を狙われます。
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