歴史

中津市

我々はもっと勉強しなければならない。福沢諭吉旧居と福沢記念館へ行く【大分の旅】

併設されている福沢記念館。館内は撮影禁止なので写真はありません。かなり充実しているのでしっかり見ると1時間以上かかります。福沢諭吉の書籍は『学問のすゝめ』しか読んだことがありません。細かい内容は覚えていませんが、取り敢えず勉強しろ!と諭された気分になった記憶が残っています。
国東市

墓から生まれた坊主のカリスマ!通幻寂霊禅師とは?【大分の旅】

通幻禅師の生涯を見る前に『子育て幽霊(産女)』という日本の怪談を紹介するのでまずはどうぞ。 とある夜、飴屋が店じまいの準備をしていました。そこに髪を乱した青白い顔の若い女が現れ『飴を下さい…。』といい一文銭を差し出します。飴屋の主...
臼杵市

臼杵城下の町並み二王座歴史の道を歩く【大分の旅】

二王座歴史の道は武家屋敷や寺院が立ち並ぶ臼杵の城下町です。名の由来は二王座地区の祇園社(現八坂神社)に仁王門があったからとされています。二王座歴史の道には城下町の風景に溶け込んだ飲食店やお土産屋が並んでいます。臼杵観光に臼杵城と併せておすすめ出来るスポットです。あとちょっと離れているけど国宝・臼杵石仏もいいですね。
広島市

広島城、毛利輝元の築城から原爆で倒壊するまでを簡単に紹介する【広島の旅】

広島城は冠山を源流とする太田川の三角州に建てられた平城です。名古屋城、岡山城に並び日本三大平城として知られています。築城者は三本の矢で有名な毛利元就の孫、毛利輝元。輝元は豊臣秀吉の大阪城や聚楽第を参考にして広島城を築城しました。1589年に着工、完成は1599年です。広島の名は毛利輝元に名付けられたといわれています。
下関市

国宝擁する功山寺と幕末の風雲児・高杉晋作の回天義挙について【山口の旅】

功山寺は1327年に創建された寺院です。現在の宗派は曹洞宗ですが創建当時は臨済宗で金山長福寺と称されました。鎌倉、南北朝時代は後醍醐天皇や足利尊氏など、室町時代は周防大内氏から庇護を受けてきました。毛利元就から攻め込まれた大内義長は1557年に功山寺で自刃しています。その後、寺は一時荒廃します。
宇都宮市

餃子で有名な宇都宮に行ってきた。宇都宮城の歴史について【栃木の旅】

餃子の街、宇都宮。その中心にあった宇都宮城は明治の戊辰戦争による焼失と第二次世界大戦後の都市開発によって遺構は殆ど残っていません。現存建築や遺構が多く残る城跡から比べると若干の見劣りするのは否めませんが、復元土塁の中に設置された『宇都宮城ものしり館』でその歴史をしっかりと伝えていこうとする意志を強く感じました。
臼杵市

江戸時代、15代に亘って臼杵を治めた稲葉氏と旧稲葉家別邸について【大分の旅】

関ヶ原の合戦以後、明治維新に至るまで臼杵の地は稲葉氏によって治められました。今回訪問したのは『国登録有形文化財 旧稲葉家別邸』です。この屋敷は明治時代に発布された廃藩置県のあと東京へ移り住んだ旧臼杵藩主の稲葉氏が帰郷するために建てた別荘のようなもの。建築年は1902年(明治35)です。
玖珠町

角牟礼城に登って来たので景色とともに歴史を紹介しようと思う【大分の旅】

今回は角牟礼城跡へ行ってきました。標高577mの角埋山頂上付近に築城された城なので本丸まで登るのに大変苦労しました。でも本丸付近から眺める景色は美しく澄み渡り、空気が美味しく、登って来た疲れを忘れさせるような爽快さを味わえます。さて、角牟礼城の風景とその歴史を見ていくことにしましょう。
宇都宮市

宇都宮の起源。東国を治めた豊城入彦命が祀られる二荒山神社に参拝【栃木の旅】

北関東の歴史を知るうえで外せない宇都宮、二荒山神社の門前町として栄え今に至っています。パワースポットとしても知られているようです。仁徳天皇の時代、下毛野国は豊城入彦命の子孫とされる奈良別によって治められました。奈良別は先祖の偉業を称え豊城入彦命を荒尾崎に祀りました。838年に現在の場所に遷座されたと伝わっています。
佐賀市

肥前の熊こと龍造寺隆信の生誕地と高伝寺境内の墓に行く!【佐賀の旅】

佐賀市にある龍造寺隆信の生誕地と墓に行ってきました。龍造寺隆信は1529年に肥前国の水ヶ江城で生まれた武将です。龍造寺氏は国人衆として少弐氏に仕えていましたが、隆信の下剋上によって戦国大名まで上り詰めています。肥前国を統一後、更なる勢力拡大を目指し豊後国の大友氏や薩摩国の島津氏と対立するようになりました。
佐賀市

佐賀藩の祖・鍋島直茂の軌跡。胞衣塚と高伝寺の墓所を訪れて【佐賀の旅】

佐賀市にある鍋島直茂の生誕地と墓に行ってきました。鍋島直茂は1538年に肥前国佐嘉郡の本庄館で生まれました。戦国大名の龍造寺氏に従い武功を重ね、主君の龍造寺隆信が戦死したあとは家老として龍造寺氏を主導しています。その後、豊臣秀吉や徳川家康の下で大いに活躍し佐賀藩の藩祖になりました。1618年に病死。享年81。
佐賀市

日本赤十字社の礎を築いた佐野常民の記念館を見学してきた!【佐賀の旅】

佐野常民は1823年に佐賀郡早津江村で生まれました。9歳のときに藩医・佐野家に養子として入りました。常民は藩校の弘道館に入り優秀な成績を収めたそうです。それから江戸、京都、大阪と遊学。帰省すると佐賀藩精煉方の主任に任命されます。1855年からは幕府の長崎海軍伝習所の一期生として蘭方医学や航海術を学んでいます。
北九州市

小倉城へ!デートに最適な観光地ってこういうところをいうんだろうな【福岡の旅】

戦国時代には毛利氏と大友氏が小倉周辺で激しい戦闘を繰り広げています。少なくともその頃には小倉城があったようです。豊臣秀吉による九州征伐の後は毛利勝信が小倉城に入城しています。関ヶ原の戦いで毛利勝信は西軍に味方したため小倉城は東軍(?)の黒田官兵衛に囲まれ降伏、落城しています。毛利勝信は改易されています。
日南市

飫肥城と伊東氏の歴史について。当地を島津氏と80年以上もの間、奪い合った結末は?【宮崎の旅】

飫肥城は宮崎県日南市中央部に位置する飫肥地区にあった城です。築城年や築城者は不明ですが、南北朝時代には存在していたのではないかと考えられています。戦国時代に入ると伊東氏と島津氏が飫肥城を巡り争っています。日向国から追い出された伊東氏は、路頭に迷いながらも最後は飫肥の地を取り戻し、明治維新に至るまで飫肥藩主を務めました。
北九州市

源平合戦から江戸時代に廃城になるまでの門司城の歴史について【福岡の旅】

門司は『もじ』と読みます。門司は九州と本州を結ぶ最短の位置にあることから古来より人の往来があり関所が置かれました。この関所が門司関と呼ばれ、そのまま地名になりました。門司城跡の案内板に『平安時代後期に長門国目代の紀井通資が平知盛の指示を受け城を築いたと云われている。』といったことが書かれていました。
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