歴史

中津市

黒田官兵衛ゆかりの西蓮寺と謎の人物?!黒田市右衛門ってどなた?【大分の旅】

寳池山西蓮寺は1588年に光心師が創建しました。光心師は黒田官兵衛(孝高)の実弟である黒田市右衛門で父・職隆が1585年に亡くなったときに出家した僧侶です。といったことが寺の案内板に書かれています。黒田官兵衛の家系は貝原益軒の黒田家譜を拠り所に研究が進みそれを通説にしています。
中津市

閻魔大王と奪衣婆について。中津圓龍寺に参拝してきた【大分の旅】

圓龍寺は寛永年間(1624年~1645年)に播磨龍野藩(兵庫)から中津藩に転封してきたときに建立された寺院。宗派は阿弥陀仏を本尊とする浄土宗、山号は岡谷山、そして開祖は専譽上人です。閻魔大王の起源はインド神話の冥界王ヤマ(ダルマラージャ・ヤマ)です。
中津市

河童たちが寺を火災から守ったという伝説の残る寺町通りの円応寺について【大分の旅】

黒田官兵衛が開いた中津城下には寺町という一帯があります。これは寺院密集地帯のことですが中津の寺町には他に見られないちょっと変わった寺々が見られます。呪われた赤壁の合元寺、閻魔大王ゆかりの圓龍寺、そして今回紹介する円応寺。円応寺はとある妖怪ゆかりの寺だということで少し気になり訪問しました。
国東市

吉弘城跡と豊後大友氏に仕えた義の家系・吉弘氏について【大分の旅】

吉弘城は西ヶ谷の城山頂上に築かれた山城です。1334年に吉弘氏初代の正堅によって築城されたと伝わります。遺構は石畳や土塁、竪堀、石垣などが残っているようです。頂上の案内板に館跡とあったのでもしかしたらこの辺りに館が建っていたのかもしれない。ってな感じで全く整備されていないのでどれが遺構なのか素人にはわからないです。
前橋市

詳細は不明?豊かな水に囲まれた女淵城跡【群馬の旅】

冒頭でお伝えした通り女淵城の築城年数及び築城者については不詳です。南北朝時代に女淵の合戦があったようですがどんな戦いだったのか城がここにあったのかこれまたよくわかりません。おそらく足利尊氏vs足利義直の兄弟抗争・観応の擾乱の最中に義直側の上杉憲顕が対立する勢力を追い出したときのことだと思われます。
前橋市

最近見直されている武田信玄の息子・勝頼が活躍!膳城素肌攻めとはどんな戦いだったのか?【群馬の旅】

膳城といえば1580年の『膳城素肌攻め』が有名です。この戦いは上杉氏のお家騒動『御館の乱』の際に甲州から遠征してきた武田勝頼が東上野で暴れまくったときに起きました。『其上向善之地押寄、則時ニ責破、為始城主河田備前守、楯籠凶徒千餘人討果』上杉家文書から抜粋。善に押し寄せて1000人くらい討ち取ったという内容です。
国東市

足利尊氏、黒田官兵衛、宮本武蔵と縁がある?富来城跡について【大分の旅】

富来城は1261年(鎌倉時代)に永井実貞が国東半島の富来に築城したとされています。永井実貞は豊後大友氏の祖・大友能直が相模国(神奈川県)から下向した際に追随してきた鎌倉御家人で後に地名の富来を名乗るようになったようです。もしかすると永井実貞とは全く関係のない土着の永井氏が築城して富来氏を名乗ったのかもしれません。
竹田市

島津vs大友!豊薩合戦の戦死者が弔われた千人塚に行く【大分の旅】

大分県の竹田市に千人塚と呼ばれる場所があります。ここでは戦国時代後期、九州統一を目指す薩摩国の島津氏と没落の一途を辿る豊後国の大友氏が熾烈な争いを繰り広げました。これを豊薩合戦と呼びます。この戦いは広範囲にわたって行われ両軍は多くの兵を失いました。千人塚は数多の戦死者を弔うために作られた首塚である。
国東市

古代にタイムスリップ!安国寺集落遺跡『弥生のムラ』【大分の旅】

写真の竪穴住居は平成5年の発掘調査で見つかった弥生時代後期の集落跡をもとにして復元されたものです。昭和24年から27年の調査では多くの土器が発掘され東九州地方の弥生時代を代表する土器として『安国寺式土器』と名付けられました。またこのとき炭になった米が発掘されたことから日本初期の農耕文化を解明する重要な発見から『西の登呂』と呼ばれ注目を集めました。
別府市

別府八湯!鉄輪温泉に来たらまずはひょうたん温泉へ行こう【大分の旅】

私は別府へ出掛け用事を済ませたあと、必ずといっていいほど温泉に寄ります。温泉施設が余りに多いため最初こそ戸惑いましたが、この頃行くところが決まってきました。明礬温泉のえびす湯、何温泉に該当するのかわかりませんがやまなみの湯、そして今回紹介するひょうたん温泉の3ヶ所です。ここは初めて別府温泉に来た方にもおすすめできるお店。
臼杵市

臼杵城下、八町大路(中央通り商店街)の石敢當について調べる【大分の旅】

石敢當はせっかんとう、いしかんとう、いしがんとうなどと読みます。中国伝来で日本では沖縄県および鹿児島県に多く建てられています。この二県以外にもあるようですが、数は非常に少ないそうです。日本以外では中国はもちろん台湾やシンガポールにも存在しているとの事。説明板によると古代中国の武将にあやかって名付けられたとされていますが
高崎市

洞窟を掘り続けた山田徳三の日本庭園、徳明園へゆく!【群馬の旅】

徳明園は実業家の山田徳蔵が開いた日本庭園です。山田徳蔵は『財産を子孫に残すと碌なことにならない!だから世のために金を使うべきだ。』と考え高崎の繁栄と人々の信仰心を願い徳明園や隣接する洞窟観音を作り上げました。山徳記念館は徳蔵の居住跡につくられました漫画の記念館です。展示室には田河水泡作の『のらくろ』や黄桜の河童で有名な小島功の絵が飾られています。
伊勢崎市

突如現れた大鳥居と数百基の赤鳥居!小泉稲荷神社へ行く【群馬の旅】

小泉稲荷神社の鳥居は3列並びです。数は約200基といわれています。御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と、大国主(おおくにぬし)。崇神天皇の皇子といわれる豊城入彦命(北関東の祖)が東国征討を行った際、伏見稲荷大明神の分霊を奉祀ししたことから小泉稲荷神社の歴史が始まったと伝わっています。
下関市

パワースポット!川棚のクスの森で逆にパワーを吸い取られる思いをした【山口の旅】

高さ27m、幹回り11.2m。東西58m、南北53mに伸びる枝。重さに耐えきれなかった枝は折れることなく再び地に着き根を張ります。下関市豊浦町川棚にある一本の巨大なクスノキ。空を覆うように生い茂る様がまるで森のように見える!ということで『川棚のクスの森』と名付けられました。
伊勢崎市

田島弥平旧宅が世界遺産に選ばれた理由をその歴史から紹介する!【群馬の旅】

私が子供だった頃、近所の畑は桑で埋め尽くされていました。甘酸っぱいどどめ(桑の実)を頬張り登校した記憶が蘇ります。カイコを飼育している友達の家によく遊びに行ったものです。 真っ白でぷにぷにしたカイコはかわいいけどちょっと気持ち悪い。あれだけあった桑畑はもう殆ど無くなってしまいました。