熊本市

加藤清正公が築城した熊本城へ。隈本から熊本に改称した理由は?【熊本の旅】

肥後国誌に隈本の由来そして隈本から熊本に改称された理由が書かれています。少し長いですが引用します。肥後国誌でも俗説と断っているので本当のところどうだったのかはわかりません。『阝に畏れる』を縁起悪いと考えた理由は何となく理解できます。『熊』は強くて勇ましいという印象からでしょうか?
明石市

明石城へ!宮本武蔵由来の庭園と重文・坤櫓&巽櫓を見に行った【兵庫の旅】

1618年(元和4年)、小笠原忠真が徳川秀忠の指示を受け明石城の築城を開始しました。築城の目的は西国の諸大名を牽制するため。戦国の世が終わったとはいえ、まだまだ油断ならないと考えたのでしょう。苦労して明石城を築いた小笠原忠真ですが、1632年(寛永9年)に北九州の小倉に移封となってしまいます。
七尾市

日本五大山城に数えられる七尾城を散策してきたので紹介するよ!【石川の旅】

七尾城は石川県と富山県に跨る石動山の北端に築城された山城です。能登国の守護・畠山氏の居城として知られています。七尾という名前は主郭がある尾根から枝分かれする7つの尾根が由来とのこと。能登に訪問した京都・東福寺の彭叔守仙(ほうしゅくしゅせん)が独楽亭記という詩を詠み当時の七尾城の様子を伝えています。
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姫路市

国宝であり世界遺産でもある白鷺城こと姫路城を観光してきた!【兵庫の旅】

国宝に指定されている天守は5城。総称して国宝5城と呼びます。中でも姫路城は世界遺産にも指定されている数少ない建築物です。奈良県の法隆寺、広島県の厳島神社、栃木県の日光寺社(東照宮)などが国宝と共に世界遺産に認定されています。姫路城をぐるっと観光してきましたので歴史と共に風景を見ていきましょう。
別府市

別府旅行に来たら絶対行って欲しい明礬温泉について話す【大分の旅】

明礬・湯の里は温泉、お土産売り場が充実しています。明礬温泉で最も観光客が多い場所だと思われます。手っ取り早くお土産が欲しいときに便利かも。明礬温泉は本当にいいところです。ただ難点が一つ。次の日まで硫黄臭が身体から抜けません!
大分市

鶴崎の歴史と乙津川の戦いを勝利に導いた妙林尼について【大分の旅】

大分市にある鶴崎城は大野川と乙津川に挟まれた中州に位置し、北側は別府湾に面する天然の要害に築かれました。古くから海上交易が盛んに行われ要所として発展。鎌倉時代から戦国時代末期までは豊後国の大名・大友氏によって支配されました。鶴崎の地は配下の吉岡氏に与えられ、鶴崎城が築城されたと云われています。
下仁田町

妙義山の石門めぐりコースを登る!ついでに中之嶽神社の黄金大黒様について【群馬の旅】

群馬生まれ、群馬育ちで知らない人はいないであろう『上毛かるた』では紅葉に映える妙義山と謳われています。妙義山の紅葉の素晴らしさを端的に表した良い句だと思います。写真は紅葉に映えてない妙義山ですが。残念ながら私は紅葉期の妙義山を拝んだことがありません。日本一の黄金大黒様。高さ20m、重さ8.5t。
檜原村

後北条氏の檜原城跡と吉祥寺の十三仏巡りについて【東京の旅】

吉祥寺を登ると十三仏巡拝入口が見えてきます。十三佛信仰は古くからある日本独自の民間信仰です。人間は亡くなってから7日ごとに前世での罪を裁かれるそうです。裁判を担当する十三の仏をここでは参拝することが出来ます。十三佛信仰はそれぞれの日を担当する裁判官に故人が無事に成仏できるよう祈る儀式です。
港区

芝大門にある増上寺の歴史と徳川将軍家墓所の謎について調べてみた【東京の旅】

大門にある増上寺は小田原征伐後に関東へ入部した徳川家康が菩提寺と定めた浄土宗の寺院です。境内に徳川将軍家墓所があるのですが、何故か15代将軍全員のお墓はありません。何か理由はあるのだろうか?ということで今回は増上寺の歴史と菩提寺なのに将軍全員の墓がない理由について見ていくことにしましょう。
草津町

群馬で一番有名な観光スポット草津温泉!温泉情報や歴史について【群馬の旅】

草津温泉は白根山の火山活動により誕生した温泉で、6つの主力源泉から一分間に約30000ℓの温泉が湧き出ています。湧出量日本一は別府温泉なのか草津温泉なのか?湧出量は圧倒的に別府温泉が多いです。しかしそれは掘削やポンプを使っての話。草津温泉は自然に湧き出す温泉の量が日本一なのです。
東吾妻町

耶馬渓しのぐ吾妻渓and八ッ場ダム建設現場and日本一短かった樽沢トンネルへ!【群馬の旅】

群馬県有数の奇勝地、吾妻渓谷。紅葉期は勿論、新緑の季節もその景色を見たいがために多くの観光客で賑わっています。たまたま吾妻渓谷を通る機会があったので散策してきました。近くにある八ッ場ダム建設現場と日本一短かった鉄道トンネルの樽沢トンネルもついでに見てきたので紹介します。
松本市

国宝・松本城の歴史について!土砂降りの松本城をめぐる【長野の旅】

信玄が小笠原領に侵攻。信濃国守護・小笠原長時は林城・深志城を信玄に奪われ追放されてしまいます。深志城は武田氏の支配下に置かれ、林城は廃城となり、深志城が長野北部の重要拠点に。 武田氏が滅亡した後、信長は木曽義昌に深志城の城代を任じました。信長が本能寺の変で横死すると旧織田領地の奪い合いが始まります。
上田市

親子そろって徳川家康をビビらせた真田氏と上田城について【長野の旅】

信州真田氏は優秀な人間を多く輩出しています。真田氏の礎を築いた真田幸隆。武田信玄に仕え武田二十四将の一人に数えられました。幸隆の長男・信綱と次男・昌輝は武勇に優れ信玄に高く評価されていたと伝わります。信綱は兎に角戦が強く前線で活躍しましたが、長篠の戦いで討ち死にしてしまいました。
東吾妻町

真田幸村のお爺さん・幸隆が城主だった天然要害・岩櫃城跡へ!【群馬の旅】

岩櫃城の築城者および築城年はわかっていません。一説によると1400年くらいに越前国(福井県)からやってきた斎藤憲行という人物が築城したと云われています。斎藤氏は上杉謙信の後ろ盾を得て、吾妻一帯を掌握するほどの力を付けました。しかし1560年代に上野侵攻を目論む武田信玄に目を付けられてしまいます。
みなかみ町

名胡桃城事件とは?『豊臣vs後北条』小田原征伐のきっかけはここにあった!【群馬の旅】

名胡桃城は築城から約10年で廃城になってしまった短命な城ですが、その歴史は濃いです。と言うのも、戦国時代を語るに外せない大戦の引き金になった事件がこの城で起きているからです。さて、名胡桃城で何があったのか?歴史を振り返ってみましょう。
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