豊後高田市

国宝・富貴寺と国東半島の六郷満山について調べたよ【大分の旅】

大分県には国宝建造物が2棟あります。八幡総本宮の宇佐神宮、そして天台宗寺院の富貴寺。富貴寺を含め国東半島に点在する寺院を総称して『六郷満山』と呼び、それらは古来から山岳信仰、神道、仏教が入り混じった独特な宗教観を持ち現在に至っています。
日出町

人間魚雷・回天の殉職者を祀る回天神社と大神訓練基地【大分の旅】

実物大の回天を観覧できる回天記念公園です。もう少し小さいものかと思っていましたが意外に大きくてびっくりです。これに乗って脱出できない死の旅に出掛けると想像すると変な汗が出ます。恐ろしい…。回天を創案したのは黒木博司大尉と仁科関夫中尉です。
熊本市

菊鹿シリーズで日本ワイン界を盛り上げる熊本ワインへ行ってきた【熊本の旅】

熊本ワイン株式会社は鹿児島県を本拠地とする本坊酒造と南九州コカ・コーラボトリング株式会社が共同出資して1999年(平成11)に設立されたワイン醸造所です。契約農家からぶどうを買い取り良質なワインを造り続けています。特に菊鹿町で栽培されるぶどうから醸造される菊鹿シリーズは引手数多で入手が困難なことで有名です。それでは、熊本ワインの風景をお届けしようかと思います。
甲州市

ワイン醸造用ぶどうのメッカ!勝沼町の歴史について【山梨の旅】

日本ワインといえば山梨県の勝沼が有名です。『何故勝沼が有名なのか?』と問われれば日本ワインの歴史の源泉がそこにあるからでしょう。正直な話、上質かつ安価で美味しいワインは山梨県勝沼以外でも多く生み出されています。お隣の長野県、北海道、九州の熊本や宮崎でも個性を生かした素晴らしいワインが造られています。
宇佐市

安心院葡萄酒工房のぶどう畑とワイン醸造所を見学してきた【大分の旅】

安心院葡萄酒工房は下町のナポレオンの愛称で有名ないいちこを造る三和酒類株式会社が運営するワイナリーです。工房の歴史は1967年頃のぶどう畑開拓から始まります。1971年に果実酒製造免許取得、1989年にアジムワイナリーを新設、そして2001年に安心院葡萄酒工房が設立されました。
港区

清正公と崇められる日蓮宗寺院・覚林寺と加藤清正の関係について【東京の旅】

清正公の由来。豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、加藤清正は捕えた王族の子供を日本へ連れ帰り大切に育てました。その子供は成長すると出家し隠退後に覚林寺を創設し、寺に育ててくれた加藤清正の像を祀りました。その捕えられた朝鮮の子供が後の可観院日延というわけです。美談っぽい話ですが、普通に拉致ですね。
みどり市

ヒトのカタチをした何か?!不思議な奉納品が並ぶ珍スポット藤瀧不動尊【群馬の旅】

みどり市の藤瀧不動尊にはちょっと不思議なものが奉納されています。初めて訪れたときは驚きました。何も知らずにこれを見たらちょっと怖いかもしれません。薄暗い雰囲気も相まって私は怖かった…。藤瀧不動尊はややわかりづらい場所にありますので、まずはアクセス情報を紹介します。
中津市

黒田官兵衛ゆかりの西蓮寺と謎の人物?!黒田市右衛門ってどなた?【大分の旅】

寳池山西蓮寺は1588年に光心師が創建しました。光心師は黒田官兵衛(孝高)の実弟である黒田市右衛門で父・職隆が1585年に亡くなったときに出家した僧侶です。といったことが寺の案内板に書かれています。黒田官兵衛の家系は貝原益軒の黒田家譜を拠り所に研究が進みそれを通説にしています。
中津市

閻魔大王と奪衣婆について。中津圓龍寺に参拝してきた【大分の旅】

圓龍寺は寛永年間(1624年~1645年)に播磨龍野藩(兵庫)から中津藩に転封してきたときに建立された寺院。宗派は阿弥陀仏を本尊とする浄土宗、山号は岡谷山、そして開祖は専譽上人です。閻魔大王の起源はインド神話の冥界王ヤマ(ダルマラージャ・ヤマ)です。
中津市

河童たちが寺を火災から守ったという伝説の残る寺町通りの円応寺について【大分の旅】

黒田官兵衛が開いた中津城下には寺町という一帯があります。これは寺院密集地帯のことですが中津の寺町には他に見られないちょっと変わった寺々が見られます。呪われた赤壁の合元寺、閻魔大王ゆかりの圓龍寺、そして今回紹介する円応寺。円応寺はとある妖怪ゆかりの寺だということで少し気になり訪問しました。
国東市

吉弘城跡と豊後大友氏に仕えた義の家系・吉弘氏について【大分の旅】

吉弘城は西ヶ谷の城山頂上に築かれた山城です。1334年に吉弘氏初代の正堅によって築城されたと伝わります。遺構は石畳や土塁、竪堀、石垣などが残っているようです。頂上の案内板に館跡とあったのでもしかしたらこの辺りに館が建っていたのかもしれない。ってな感じで全く整備されていないのでどれが遺構なのか素人にはわからないです。
前橋市

詳細は不明?豊かな水に囲まれた女淵城跡【群馬の旅】

冒頭でお伝えした通り女淵城の築城年数及び築城者については不詳です。南北朝時代に女淵の合戦があったようですがどんな戦いだったのか城がここにあったのかこれまたよくわかりません。おそらく足利尊氏vs足利義直の兄弟抗争・観応の擾乱の最中に義直側の上杉憲顕が対立する勢力を追い出したときのことだと思われます。
檜原村

檜原村の秋川・滝巡り!東京にもこんな素晴らしい場所があったのか?【東京の旅】

檜原村は東京本土唯一の村で豊かな自然に囲まれています。特に村を流れる秋川には多くの滝があり『滝の村』といっても過言ではありません。秋川は『北秋川』と『南秋川』に分かれ、2本の河川は檜原村役場付近で合流、最後は多摩川に合流します。案内板がない滝や登山しないと見れない滝が多数あり1日や2日では周り切れないぐらいです。
前橋市

最近見直されている武田信玄の息子・勝頼が活躍!膳城素肌攻めとはどんな戦いだったのか?【群馬の旅】

膳城といえば1580年の『膳城素肌攻め』が有名です。この戦いは上杉氏のお家騒動『御館の乱』の際に甲州から遠征してきた武田勝頼が東上野で暴れまくったときに起きました。『其上向善之地押寄、則時ニ責破、為始城主河田備前守、楯籠凶徒千餘人討果』上杉家文書から抜粋。善に押し寄せて1000人くらい討ち取ったという内容です。
国東市

足利尊氏、黒田官兵衛、宮本武蔵と縁がある?富来城跡について【大分の旅】

富来城は1261年(鎌倉時代)に永井実貞が国東半島の富来に築城したとされています。永井実貞は豊後大友氏の祖・大友能直が相模国(神奈川県)から下向した際に追随してきた鎌倉御家人で後に地名の富来を名乗るようになったようです。もしかすると永井実貞とは全く関係のない土着の永井氏が築城して富来氏を名乗ったのかもしれません。