藍住町

盛者必衰の…。細川・三好の両名家が治めた勝瑞城の歴史を振り返る【徳島の旅】

阿波細川氏、畿内の覇者・三好長慶の一族が本拠とした勝瑞城。かつてはここを中心として阿波国の政治や経済、文化などが成長し城下町が繁栄しました。築城時期や築城者は定かではありませんが、十五世紀中頃に細川氏が守護所を土成町の秋月から勝瑞に移した…(後略)国指定史跡 勝瑞城館跡 案内板より
別府市

別府温泉が戦場に?豊後大友氏最後の合戦・石垣原の戦いについて

天下分け目の合戦、関ヶ原の戦いは各地の大名や浪人らの思惑が入り乱れた壮大な物語です。九州では豊後大友氏の再興を目指す大友義統と九州統一を狙った黒田官兵衛が石垣原で死闘を繰り広げました。 結論からいいますと黒田官兵衛の勝利で大友義統の再興の夢は叶いませんでした。それでは石垣原合戦古戦場を紹介します!
臼杵市

大友宗麟が国崩し(大砲)をぶっ放して守り切った臼杵城に行ってきた!【大分の旅】

臼杵市の城下町は風情があります。古めかしさの中に新しきを取り入れた街並みには感心するばかりです。歴史が好きな方は勿論、それ程興味のない方でも、あの街並みを散策するだけで充分に楽しめることでしょう。さて、そんな城下町の中心にあった臼杵城とはどんなお城なのか?臼杵城の風景とその歴史について紹介致します。
世田谷区

豪徳寺にある井伊直弼の墓と招き猫物語について【東京の旅】

大谿山(だいけいざん)豪徳寺の前身は、1480年に世田谷城を治めていた吉良政忠が亡き伯母を弔うために建てた小さな庵『弘徳院』だと言われています。初めは臨済宗でしたが、門庵宗関和尚(もんなんそうかん)によって曹洞宗に改宗されました。ちなみに和尚は今川義元の孫で泉岳寺の開祖です。
九重町

九重”夢”大橋でジビエハンバーガーを喰らう!シシガーとシカガーの味は如何に?【大分の旅】

九重”夢”大橋は大分県の九重町に架かる橋梁です。173mという歩道専用の橋では日本一の高さを誇ります。高所恐怖症の方には恐ろしいスポットかもしれませんが、橋からの眺めは抜群に素晴らしい!橋の袂にはお土産屋や飲食店があり多くの観光客で賑わっています。特に注目すべき点はオリジナルのハンバーガーでしょう。
牛久市

ギネスブックに載った世界一高い牛久大仏に行ってきた【茨城の旅】

茨城県の牛久市には浄土真宗東本願寺派が建てた巨大な阿弥陀仏・牛久大仏があります。全長はなんと120m!青銅(ブロンズ)立像としては世界最大でギネスブックに載る程の大きさです。どんなものかと?ずっと気になっていたので訪問してきました!大仏内部は展示場になっているのでそれも含めてご紹介します。
豊後大野市

大分おすすめ観光スポット・稲積水中鍾乳洞へ!日本最大級の水中洞窟ってどんなとこ?【大分の旅】

この鍾乳洞の原型が完成したのはおよそ2億数千万年前といわれています。そして約30万年前くらいから鍾乳石の発達が始まり、8万5千年前の阿蘇山大噴火によって水没してしまいました。それから長い月日が経ち、たまたま付近で遊んでいた子供たちが水中に穴を発見し、専門のダイバーが調査を行い昭和52年に観光洞として私たちの前に姿を現すことになりました。
臼杵市

日本一美しい鍾乳洞?!国の天然記念物の風連鍾乳洞へ行ってきた【大分の旅】

大分県の山中に日本で一番美しい記念物と評価される鍾乳洞があります。 洞の奥行きは500m、閉塞型の鍾乳洞で外気の侵入が少なく、風化作用されなかったため、記念物は光沢がよく、均整のとれた最も美しい形で成長し、純白に近いのが特徴です。(中略)そ...
牛久市

シャトーカミヤと日本ワイン製造先駆者の神谷傳兵衛について【茨城の旅】

茨城県の牛久市にあるシャトーカミヤは日本ワイン史の中でとりわけ重要なポジションにあります。1903年に神谷傳兵衛が開設した日本初の本格的ワイン醸造所で現在事務室、醗酵室そして貯蔵庫が国の重要文化財に指定されています。ではまずシャトーカミヤを立ち上げた神谷傳兵衛について見ていきましょう。
松山市

湯築城の風景と伊予の豪族・河野氏の歴史について紹介する!【愛媛の旅】

14世紀前半(南北朝時代)~16世紀末の約250年間、伊予の豪族・河野氏が湯築城を居城としました。河野氏は越智氏を祖とする地方豪族で善応寺付近にあった河野郷から勢力を拡げたと伝わります。平安時代末期、後に鎌倉幕府を開いた源頼朝が挙兵すると河野通清・通信父子はこれに従い平家の軍と争いました。
木城町

耳川の合戦とは?大友vs島津の決戦をフロイス日本史から見る【宮崎の旅】

耳川の戦いは1578年に大友宗麟と島津義久の間で行われた合戦です。耳川で場所で起きたと思われがちですが、実際は高城という城を巡って争われました。この戦いで大敗を喫した大友氏は没落の一途を辿ることになります。今回はルイス・フロイスの日本史を参考にしながら耳川の戦いについて書きます。
庄原市

七塚原SAでワニバーガーを喰らう。ワニってあの爬虫類の鰐のことなのか?【広島の旅】

ひとり旅の帰りに寄った中国自動車道の七塚原SA(下り)。眠気が酷かったのでコーヒーを飲みながら気分転換。お腹は減っていなかったのですが、レストランのメニューを眺めていました。そこにはワニバーガーという見慣れない文字が…。ハンバーガーの中身は『パンズ、トマト、レタス、ワニのフライ(?)、チーズ』。
佐賀市

江藤新平と生誕地と墓へ参拝。彼の人生と佐賀の乱について紹介しようと思う【佐賀の旅】

江藤新平は幕末から明治初期に活躍した佐賀県出身の政治家です。佐賀藩の七名の偉人『佐賀の七賢人』、明治政府に貢献した『維新の十傑』の一人に選ばれています。征韓論を巡る政争の結果起きたとされる明治六年政変で下野したのち、佐賀県に帰省し佐賀の乱のリーダーの一人として新政府軍と戦います。
今治市

村上海賊の城、能島城跡をカレイ山展望公園から眺める【愛媛の旅】

今治市宮窪町の沖に浮かぶ能島、鯛崎島。村上水軍の頭領である能島村上氏は能島城を築城し居城としました。能島村上氏が史料上に登場した時期と発掘された遺物の時期が一致したことから14世紀後半頃には居城があったと推測されています。この島から戦国時代に大活躍した村上海賊の頭領・村上武吉が出現しました。
今治市

島がまるまる城跡?!村上水軍が治めた来島城跡に行ってきた!【愛媛の旅】

来島城は瀬戸内海で名を馳せた村上海賊の一族が治めた城です。城主の来島村上氏については過去の記事で触れていますので下記のリンクを参考にしてください。今回はちょっと筆を休めて写真メインの記事でお送り致します。波止浜港から来島行の定期船が出ています。港から5分くらいどんぶらこすれば来島に到着です。