今治市宮窪町の沖に浮かぶ能島、鯛崎島。
村上水軍の頭領である能島村上氏は能島城を築城し居城としました。
能島村上氏が史料上に登場した時期と発掘された遺物の時期が一致したことから14世紀後半頃には居城があったと推測されています。
能島城の名前が初めて出てきた文献は『嚴島野坂文書(1547年)』です。この史料には厳島神社の神主になった杉景教が能島城にいたと書かれています。
桜の景勝地・能島
能島は桜の名勝地として知られています。
いちのまる
能島には桜が咲く時期の2日間しか上陸できません。
過去には上陸クルーズが出ていたようですが、現在は行われていません。
また復活するかも。
カレイ山展望公園の場所
カレイ山展望公園から能島がよく見えます。
国道317号線の青看板にカレイ山展望公園の案内が出ているのでそれに従いましょう。
カレイ山展望公園から見る能島城跡
『村上海賊の城』というパンフレットによると、能島城跡には郭跡、船だまり、岩礁ピット、堀立柱建物跡などの遺構が残っているとありました。
一度はこの目で見てみたいものです。
終わりに
写真はカレイ山展望公園から眺める景色です。この右側に能島があります。
奥の島が伯方島、その手前にある小さな島(写真だと伯方島にくっついているようにみえるが…。)を見近島といいます。
調査で15世紀から16世紀中頃の陶磁器が大量に発掘されています。城郭の遺構が見られないため能島村上氏の流通拠点だったのではないかとされています。
①同じ絵柄、同じ形、同じ大きさのものが数点から数十点、まとめて出土している。
②高級品や珍しい品が戦国大名の城館並みに豊富である。
③流通量が少なく他の遺跡ではあまり出土しないものまで確認ができる。
村上海賊と瀬戸内海の城 見近島城?-海賊の流通拠点ーより
いちのまる
海賊の宝物庫でもあったのかな?
能島村上氏の同族である来島村上氏の来島城にも行きました↓
おしまい!