茨城県の牛久市にあるシャトーカミヤは日本ワイン史の中でとりわけ重要なポジションにあります。
1903年(明治36年)に神谷傳兵衛(かみやでんべい)が開設した日本初の本格的ワイン醸造所で現在事務室、醗酵室そして貯蔵庫が国の重要文化財に指定されています。
ではまずシャトーカミヤを立ち上げた神谷傳兵衛について見ていきましょう。
シャトーカミヤへのアクセスは↑をご覧ください。わかりやすい所にあるので細かい説明は割愛します。
シャトーカミヤと神谷傳兵衛の歴史
神谷傳兵衛は1856年に愛知県の豪農の家に生まれました。
幼少の頃に家が没落し傳兵衛は丁稚奉公に出たそうです。
この時、酒に関する仕事をして酒に興味を持ち始めました。 そしてワインとの運命の出会いは傳兵衛17歳のとき。
横浜でフランス人が経営する洋酒醸造所で働いていた際、傳兵衛は謎の腹痛に襲われ衰弱してしまいます。
このことを知った経営者が見舞いにきて傳兵衛に葡萄酒を飲ませてみたそうです。すると爽快な気分になり徐々に元気になっていきました。
これをきっかけに葡萄酒に興味を持ち『しかし葡萄酒高いな…。
国内に醸造所作ったら安価で販売できるんじゃ?』という思いに至ることになりました。
商才豊かな神谷傳兵衛
24歳のときに独り立ち。浅草でにごり酒を一杯売りする店を出し成功させます。
さらに日本で洋酒の需要が高まっていることに気づいた傳兵衛は蜂印香竄葡萄酒(はちじるしこうざんぶどうしゅ)というお酒を造ります。
これは輸入ワインを再製して当時の日本人に合わせて甘口にしたものです。飲みやすい海外のお酒ということでこれが大ヒット。
しかし傳兵衛は成功に満足せず海外のように栽培から醸造まで全部自分の手でやりたいと思うようになり行動に移します。
シャトーカミヤの誕生
当時葡萄栽培というとアメリカ種が殆どでした。(多分コンコードなど)
傳兵衛は『やっぱりワインはフランス品種だよな。』っと考えました。そしてフランス留学を計画。ただ経営者である傳兵衛は長期間会社から離れるわけにはいきません。
子宝に恵まれなかった傳兵衛は兄の娘を養女とし婿養子をとりまず。婿養子は小林傳蔵という人物で、彼は傳兵衛の指令でボルドーに3年間留学して栽培、醸造のノウハウを学びました。
そして小林傳蔵が帰国し傳兵衛は茨城県牛久市に神谷葡萄園と牛久醸造場をつくりました。これが現在のシャトーカミヤというわけです。
シャトーカミヤと神谷傳兵衛の歴史については以上です!
牛久ワイナリー
シャトーカミヤ内に牛久ワイナリーがあります。 詳しくはわからないのですが上記の神谷葡萄園の名残だと思われます。
シャルドネ、ピノ・ブラン。ツヴァイゲルトレーベ、ミュラートゥルガウ、バッカス、ケルナーなどを栽培しているようです。
ドイツ系のぶどうが多いですね。
棚仕立て。
オエノンミュージアム
オエノン社は神谷傳兵衛が立ち上げた「みかはや銘酒店」が基礎となっています。
この絵は昭和をテーマにして居酒屋なんかでよく見かけますね!
これまで造ってきたお酒が飾ってあります。
ワインパーティの様子。左手前の女性三名の後ろに板垣退助がいます。
シャトーカミヤ 本館
いろいろ書いてきましたが東日本大震災の際レンガが崩れたかで本館は改修中…。
ここがメインなのでガックシきました。
本館には大山巌(元帥陸軍大将)、児玉源太郎(陸軍大将)、伊藤佑亨(元帥海軍大将)達と傳兵衛が一緒に写っている写真があります。
終わりに
少しマニアックなお話でしたが最近日本ワインが熱いのでこれから少しずつ知られていくのかな?
そのうちソムリエの資格試験とかでも出題されるかもね!
牛久ワイナリーのワインが美味しいかどうかは飲んだこと無いのでわかりません!
おしまい!