大分県

大分市

府内城跡から350mに亘って延びる遊歩公園を散歩してきた【大分の旅】

戦後復興の一環として1951年(昭和26)に整備された遊歩公園。この公園には彫刻や大分県の歴史に関する銅像が展示されています。府内城跡へ訪れとき寄ってみましたのでどんな感じなのか紹介します。
豊後高田市

夷耶馬の中山仙境を登山して、帰りは夷谷温泉で汗を流そう!【大分の旅】

大分の国東半島北部に位置する夷地区には耶馬渓になぞらえた夷耶馬と呼ばれる景勝地があります。登山道の中山仙道は奇勝や奇石に設けられた鎖場を進むため少やや難易度が高めです。嬉しい事に麓には小さな温泉があるので登山で疲れた身体を癒してくれます。今回は夷谷温泉と中山仙道登頂についての紹介です。
中津市

本耶馬渓の隠れ登山スポット古羅漢探勝道を登る【大分の旅】

日本三大奇勝の一つ耶馬渓。 紅葉、新緑の季節に訪れれば自然の芸術的風景に圧倒され得も言われぬ感動に心が支配されることでしょう。 ここは『景色を眺める』を目的として訪問する方々が殆どですし、それだけでも十分な耶馬渓観光を楽しめます。 しかし『...
大分市

群馬県とちょっとだけ縁ある松栄神社に参拝してきた【大分の旅】

安土桃山時代から江戸時代にかけて大分県の政の中心にあった府内城(大分城)。その一角の山里丸という曲輪だった場所に松栄神社はあります。府内城観光のついでに寄っただけで記事にするつもりはなかったのですが、説明板を読んで一転。上州水沼村とな。群馬県出身の私としてこれは見逃せない!
臼杵市

国宝の臼杵磨崖仏は人生の流れを語る聖域なのです!【大分の旅】

大分県は『まがいぶつ県』といっても過言ではない。その数は日本一クラスです。近畿、中部地方から広まった磨崖仏文化は徐々広がり全国に知られるようになりました。今回の訪問先である臼杵磨崖仏は多くある磨崖仏の中で唯一国宝に指定されています。私は様々な磨崖仏を見てきましたが、ここのそれは特別!
大分市

猿の山!高崎山のてっぺんには何がある?【大分の旅】

高崎山といえば猿山! 全国的にも有名なこの山の麓には猿に会える高崎山自然公園や水族館のうみたまごがあって休日になると観光客で賑わっています。また高崎山のてっぺんには旧跡があり歴史好きな方々に人気?なスポットにもなっています。 さて!それでは高崎山の頂上には何があるのか?見ていきましょう!
豊後高田市

国宝・富貴寺と国東半島の六郷満山について調べたよ【大分の旅】

大分県には国宝建造物が2棟あります。八幡総本宮の宇佐神宮、そして天台宗寺院の富貴寺。富貴寺を含め国東半島に点在する寺院を総称して『六郷満山』と呼び、それらは古来から山岳信仰、神道、仏教が入り混じった独特な宗教観を持ち現在に至っています。
日出町

人間魚雷・回天の殉職者を祀る回天神社と大神訓練基地【大分の旅】

実物大の回天を観覧できる回天記念公園です。もう少し小さいものかと思っていましたが意外に大きくてびっくりです。これに乗って脱出できない死の旅に出掛けると想像すると変な汗が出ます。恐ろしい…。回天を創案したのは黒木博司大尉と仁科関夫中尉です。
宇佐市

安心院葡萄酒工房のぶどう畑とワイン醸造所を見学してきた【大分の旅】

安心院葡萄酒工房は下町のナポレオンの愛称で有名ないいちこを造る三和酒類株式会社が運営するワイナリーです。工房の歴史は1967年頃のぶどう畑開拓から始まります。1971年に果実酒製造免許取得、1989年にアジムワイナリーを新設、そして2001年に安心院葡萄酒工房が設立されました。
中津市

黒田官兵衛ゆかりの西蓮寺と謎の人物?!黒田市右衛門ってどなた?【大分の旅】

寳池山西蓮寺は1588年に光心師が創建しました。光心師は黒田官兵衛(孝高)の実弟である黒田市右衛門で父・職隆が1585年に亡くなったときに出家した僧侶です。といったことが寺の案内板に書かれています。黒田官兵衛の家系は貝原益軒の黒田家譜を拠り所に研究が進みそれを通説にしています。
中津市

閻魔大王と奪衣婆について。中津圓龍寺に参拝してきた【大分の旅】

圓龍寺は寛永年間(1624年~1645年)に播磨龍野藩(兵庫)から中津藩に転封してきたときに建立された寺院。宗派は阿弥陀仏を本尊とする浄土宗、山号は岡谷山、そして開祖は専譽上人です。閻魔大王の起源はインド神話の冥界王ヤマ(ダルマラージャ・ヤマ)です。
中津市

河童たちが寺を火災から守ったという伝説の残る寺町通りの円応寺について【大分の旅】

黒田官兵衛が開いた中津城下には寺町という一帯があります。これは寺院密集地帯のことですが中津の寺町には他に見られないちょっと変わった寺々が見られます。呪われた赤壁の合元寺、閻魔大王ゆかりの圓龍寺、そして今回紹介する円応寺。円応寺はとある妖怪ゆかりの寺だということで少し気になり訪問しました。
国東市

吉弘城跡と豊後大友氏に仕えた義の家系・吉弘氏について【大分の旅】

吉弘城は西ヶ谷の城山頂上に築かれた山城です。1334年に吉弘氏初代の正堅によって築城されたと伝わります。遺構は石畳や土塁、竪堀、石垣などが残っているようです。頂上の案内板に館跡とあったのでもしかしたらこの辺りに館が建っていたのかもしれない。ってな感じで全く整備されていないのでどれが遺構なのか素人にはわからないです。
国東市

足利尊氏、黒田官兵衛、宮本武蔵と縁がある?富来城跡について【大分の旅】

富来城は1261年(鎌倉時代)に永井実貞が国東半島の富来に築城したとされています。永井実貞は豊後大友氏の祖・大友能直が相模国(神奈川県)から下向した際に追随してきた鎌倉御家人で後に地名の富来を名乗るようになったようです。もしかすると永井実貞とは全く関係のない土着の永井氏が築城して富来氏を名乗ったのかもしれません。
竹田市

島津vs大友!豊薩合戦の戦死者が弔われた千人塚に行く【大分の旅】

大分県の竹田市に千人塚と呼ばれる場所があります。ここでは戦国時代後期、九州統一を目指す薩摩国の島津氏と没落の一途を辿る豊後国の大友氏が熾烈な争いを繰り広げました。これを豊薩合戦と呼びます。この戦いは広範囲にわたって行われ両軍は多くの兵を失いました。千人塚は数多の戦死者を弔うために作られた首塚である。