九州地方

熊本市

加藤清正公が築城した熊本城へ。隈本から熊本に改称した理由は?【熊本の旅】

肥後国誌に隈本の由来そして隈本から熊本に改称された理由が書かれています。少し長いですが引用します。肥後国誌でも俗説と断っているので本当のところどうだったのかはわかりません。『阝に畏れる』を縁起悪いと考えた理由は何となく理解できます。『熊』は強くて勇ましいという印象からでしょうか?
別府市

別府旅行に来たら絶対行って欲しい明礬温泉について話す【大分の旅】

明礬・湯の里は温泉、お土産売り場が充実しています。明礬温泉で最も観光客が多い場所だと思われます。手っ取り早くお土産が欲しいときに便利かも。明礬温泉は本当にいいところです。ただ難点が一つ。次の日まで硫黄臭が身体から抜けません!
大分市

鶴崎の歴史と乙津川の戦いを勝利に導いた妙林尼について【大分の旅】

大分市にある鶴崎城は大野川と乙津川に挟まれた中州に位置し、北側は別府湾に面する天然の要害に築かれました。古くから海上交易が盛んに行われ要所として発展。鎌倉時代から戦国時代末期までは豊後国の大名・大友氏によって支配されました。鶴崎の地は配下の吉岡氏に与えられ、鶴崎城が築城されたと云われています。
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鹿児島市

薩摩島津氏が築城した鹿児島城へ行ってきた!その歴史を簡単に紹介する【鹿児島の旅】

薩摩島津氏の初代は平安時代後期から鎌倉時代に活躍した惟宗忠久という人物です。忠久は源頼朝から南九州の島津荘の下司職に任じられます。その土地の名前から代々島津氏を名乗るようになりました。『中世島津氏研究の最前線』によると鎌倉期の島津本宗家は鹿児島県出水市の木牟礼城を拠点にしたと書かれています。
竹田市

滝廉太郎の生涯と歌曲・荒城の月の歌詞の意味について【大分の旅】

滝廉太郎は学童時代に過ごした大分県竹田市の城下町や岡城跡での思い出を懐かしみ歌曲・荒城の月を作曲しました。彼にとって竹田市は心のふるさとだったようで、岡城をモチーフに作曲されたと云う荒城の月には『楽しかったあの頃はもう戻ってこない。』という物悲しさが曲調に込められています。
鹿児島市

薩摩島津氏15代目・貴久が築城した内城へ!訪問しての感想は『もう少し情報が欲しかった』です【鹿児島の旅】

島津貴久はそれまでの居城だった清水城を出て内城を築城します。貴久の長子である義久もここを居城としました。薩摩藩初代藩主の島津忠恒が鶴丸城(鹿児島城)を築くと内城は使用されなくなり大龍寺が建立されます。大龍の名は島津貴久の戒名『南林寺殿大中良等庵主』と島津義久の法号『龍伯』から取られています。
豊後大野市

平家物語に登場する緒方惟栄を紹介!豊後大野市の彼の館跡に訪れて【大分の旅】

豊後大野市緒方に緒方三郎惟栄の館跡はあります。惟栄は平安時代後期から鎌倉時代の武将です。平家物語の中で活躍が見れます。館跡の様子と彼が平家物語でどのように描かれているのか紹介致します。緒方惟栄は源義経と縁深い武将でした。平家討伐で活躍した源義経は色んな事情から兄の頼朝に疎まれて命を狙われます。
別府市

別府温泉が戦場に?豊後大友氏最後の合戦・石垣原の戦いについて

天下分け目の合戦、関ヶ原の戦いは各地の大名や浪人らの思惑が入り乱れた壮大な物語です。九州では豊後大友氏の再興を目指す大友義統と九州統一を狙った黒田官兵衛が石垣原で死闘を繰り広げました。 結論からいいますと黒田官兵衛の勝利で大友義統の再興の夢は叶いませんでした。それでは石垣原合戦古戦場を紹介します!
臼杵市

大友宗麟が国崩し(大砲)をぶっ放して守り切った臼杵城に行ってきた!【大分の旅】

臼杵市の城下町は風情があります。古めかしさの中に新しきを取り入れた街並みには感心するばかりです。歴史が好きな方は勿論、それ程興味のない方でも、あの街並みを散策するだけで充分に楽しめることでしょう。さて、そんな城下町の中心にあった臼杵城とはどんなお城なのか?臼杵城の風景とその歴史について紹介致します。
九重町

九重”夢”大橋でジビエハンバーガーを喰らう!シシガーとシカガーの味は如何に?【大分の旅】

九重”夢”大橋は大分県の九重町に架かる橋梁です。173mという歩道専用の橋では日本一の高さを誇ります。高所恐怖症の方には恐ろしいスポットかもしれませんが、橋からの眺めは抜群に素晴らしい!橋の袂にはお土産屋や飲食店があり多くの観光客で賑わっています。特に注目すべき点はオリジナルのハンバーガーでしょう。
日田市

鯛生金山へ行ってきた!一攫千金の夢見た人々が集う東洋のエル・ドラード【大分の旅】

東洋のエル・ドラードと呼ばれ多くの人々で賑わいを見せた鯛生金山。全盛期には日本全国から約3000人の労働者が夢を見て集まり、周辺には病院、小学校、飲食店、配給所などが建ち並び活気ある鉱山町が形成されました。第二次世界大戦が始まったため人々は戦争に駆り出され金の産出量が減少し、1972年に閉山しました。
豊後大野市

大分おすすめ観光スポット・稲積水中鍾乳洞へ!日本最大級の水中洞窟ってどんなとこ?【大分の旅】

大分県にはおすすめの鍾乳洞が二つあります。 一つは臼杵市の風連鍾乳洞! そしてもう一つは今回ご紹介する稲積水中鍾乳洞です。 言葉でお伝え出来ることは少ないので写真メインで稲積水中鍾乳洞の魅力を紹介します! ...
臼杵市

日本一美しい鍾乳洞?!国の天然記念物の風連鍾乳洞へ行ってきた【大分の旅】

大分県の山中に日本で一番美しい記念物と評価される鍾乳洞があります。 洞の奥行きは500m、閉塞型の鍾乳洞で外気の侵入が少なく、風化作用されなかったため、記念物は光沢がよく、均整のとれた最も美しい形で成長し、純白に近いのが特徴です。(中略)...
木城町

耳川の合戦とは?大友vs島津の決戦をフロイス日本史から見る【宮崎の旅】

耳川の戦いは1578年に大友宗麟と島津義久の間で行われた合戦です。耳川で場所で起きたと思われがちですが、実際は高城という城を巡って争われました。この戦いで大敗を喫した大友氏は没落の一途を辿ることになります。今回はルイス・フロイスの日本史を参考にしながら耳川の戦いについて書きます。
佐賀市

江藤新平と生誕地と墓へ参拝。彼の人生と佐賀の乱について紹介しようと思う【佐賀の旅】

江藤新平は幕末から明治初期に活躍した佐賀県出身の政治家です。佐賀藩の七名の偉人『佐賀の七賢人』、明治政府に貢献した『維新の十傑』の一人に選ばれています。征韓論を巡る政争の結果起きたとされる明治六年政変で下野したのち、佐賀県に帰省し佐賀の乱のリーダーの一人として新政府軍と戦います。
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