大分市

大分市

府内城跡から350mに亘って延びる遊歩公園を散歩してきた【大分の旅】

戦後復興の一環として1951年(昭和26)に整備された遊歩公園。この公園には彫刻や大分県の歴史に関する銅像が展示されています。府内城跡へ訪れとき寄ってみましたのでどんな感じなのか紹介します。
大分市

群馬県とちょっとだけ縁ある松栄神社に参拝してきた【大分の旅】

安土桃山時代から江戸時代にかけて大分県の政の中心にあった府内城(大分城)。その一角の山里丸という曲輪だった場所に松栄神社はあります。府内城観光のついでに寄っただけで記事にするつもりはなかったのですが、説明板を読んで一転。上州水沼村とな。群馬県出身の私としてこれは見逃せない!
大分市

猿の山!高崎山のてっぺんには何がある?【大分の旅】

高崎山といえば猿山! 全国的にも有名なこの山の麓には猿に会える高崎山自然公園や水族館のうみたまごがあって休日になると観光客で賑わっています。また高崎山のてっぺんには旧跡があり歴史好きな方々に人気?なスポットにもなっています。 さて!それでは高崎山の頂上には何があるのか?見ていきましょう!
大分市

ずっと大友宗麟の居城だと思っていた府内城へ!

築城年は1597年。初めは府内城ではなく地名から荷揚城と呼ばれていました。築城者は豊臣家臣の福原直高という人物です。福原直高は播磨赤松氏の一族で出で、石田三成の妹を娶りました。 朝鮮出兵では軍監として渡航します。このとき石田三成たちと武闘派の武将が軍令違反した!と秀吉にチクったため武闘派と対立してしまいます。
大分市

鶴崎の歴史と乙津川の戦いを勝利に導いた妙林尼について【大分の旅】

大分市にある鶴崎城は大野川と乙津川に挟まれた中州に位置し、北側は別府湾に面する天然の要害に築かれました。古くから海上交易が盛んに行われ要所として発展。鎌倉時代から戦国時代末期までは豊後国の大名・大友氏によって支配されました。鶴崎の地は配下の吉岡氏に与えられ、鶴崎城が築城されたと云われています。
大分市

国の指定史跡の大友氏遺跡と豊後国大友氏の歴史について【大分の旅】

大友氏遺跡は豊後国の守護所や大友氏の菩提寺、居住地の跡地の総称です。メインの守護所跡は大友氏館と呼ばれ現在、発掘調査をしている最中です。大分市が10年後に館跡を復元しそこで博物館を運営するという風の便りを聞きましたが、どうなんでしょう?今回は大友氏遺跡の現在の様子と豊後大友氏の歴史について紹介します。
大分市

豊薩合戦・戸次川の戦いについて!長宗我部信親の墓にお参りしてきた【大分の旅】

戸次川の戦いまでの経緯 耳川の合戦(1578年)や沖田畷の戦い(1584年)で勝利を収めた薩摩国の島津氏は九州統一を目指し進軍します。それに抵抗するため豊後国の大友宗麟は豊臣秀吉に助けを求めますが、秀吉は織田信雄、徳川家康と対峙していたため九州へ兵を送ることが出来ませんでした。