国宝・犬山城を歩く!その歴史を景色と共に振り返る【愛知の旅】

国宝に指定されている城郭は5城あります。

国宝5城、あと二つでコンプリートです。彦根城は2~3回訪れましたが、そのころ旅ブログをやっていなかったので写真は全く撮りませんでした。行く機会がなさそうな島根県の松江城が難関だな。

2017年1月に国宝5城completeしました!

それでは犬山城の歴史と風景を紹介します。

 

犬山城について

犬山城

犬山城は織田信長の叔父・織田信康が築城しました。

1547年に信長の父・信秀が美濃の斎藤道三を攻めた際、従軍した織田信康は討ち死にしてしまいます。

そして信康の息子、織田信清が犬山城に入城。

織田信秀が亡くなり信長の代になると最初こそ従っていた信清ですが次第に仲が険悪になり対立。

信清は信長に敗北し甲斐へ逃亡。

その後、信長家臣の池田恒興などが犬山城に配属されました。

 

本能寺の変後

犬山城

1582年、本能寺の変で織田信長が亡くなると織田信雄の配下である中川定成が犬山城に入ります。

1854年、羽柴秀吉の味方に付いた池田恒興が犬山城に奇襲をかけ奪い取ります。

これが『羽柴秀吉vs徳川家康&織田信雄』の戦い。すなわち小牧・長久手の戦いの緒戦になりました。

小牧・長久手の戦いは講和で終戦します。

ちなみに犬山城を奪取した池田恒興はこの戦いで討ち死にしてしまいました。

そして犬山城は織田信雄に返還されますが直ぐに改易になってしまいます。

その後、城主はめまぐるしく変わります。

 

秀吉、家康以降の犬山城

犬山城

1595年に豊臣秀吉の家臣である石川貞清が城主に。

1600年、関ヶ原の戦いで西軍を味方した石川貞清は没落。

関ヶ原の戦い後、松平忠吉(徳川家康の四男)に尾張清州藩が拝領されます。

御附家老に選ばれた小笠原吉次が犬山城に入城。

松平忠吉が若くして亡くなると小笠原吉次は江戸へ。

空席の犬山城に入城したのは平岩親吉。

平岩親吉は徳川家康と同世代の人物で家康とは今川人質時代からの仲です。

いちのまる
いちのまる

家康の長男・松平信康の傅役を任されるほど信頼を受けていました。これによって有名な事件に巻き込まれるのですが、それはまた別のお話。

平岩親吉は晩年に徳川義直(尾張徳川家の祖)の御附家老として犬山城に入城。

1611年に名古屋城で亡くなるまで城主を務めました。徳川義直が幼かったため平岩親吉は名古屋城に入り政務を執り行い犬山城は甥の平岩吉範が取り仕切っていました。

 

犬山城

平岩吉範が1617年まで統治。

その後は徳川義直の御附家老に指名された成瀬正成が入城しました。

成瀬氏の犬山城統治は明治維新まで続きます。

犬山城は国が所有することになりますが、明治の濃尾大地震によって城の一部が倒壊すると、修理のため譲与されまた成瀬氏が所有します。

なんと!2004年まで成瀬氏は犬山城を所有し続けました。

国宝に指定されたのが1952年なので驚きです! 全国で唯一『個人所有の国宝』だった時期がありました。

 

終わりに

犬山城

いちのまる
いちのまる

国宝5城の中で犬山城が一番好きです。

この素朴な感じが何とも堪らない。視覚から歴史を感じることが出来るって素晴らしい!

私は時間の関係で犬山城しか見れませんでしたが、城下町観光も良さそうです。

浴衣や着物をレンタルして人力車に揺られ犬山観光とか思い出に残るでしょうね。

おしまい!

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