日本三大水城!今治城へ。築城名人・藤堂高虎と幻の天守について【愛媛の旅】

今治城

愛媛県今治市の今治城は江戸時代初期にこの地を与えられた藤堂高虎によって築かれました。

平地に建てられた城ですので平城のカテゴリーに属しますが、海陸の要所であった今治城は瀬戸内海に面するように築かれ、堀と海が連結され舟の往来が可能な造りだったため海城、或いは水城にも分類されます。

日本を代表する海城なので、どなたが言い始めたのかは存じ上げませんが、日本三大水城の一つに数えられています。ちなみに三大水城に選ばれた他の二城は大分県の中津城、香川県の高松城だそうです。

それでは、今治城の風景と共に、その歴史を紹介致します。

 

今治城へのアクセス

今治城

西瀬戸自動車道(しまなみ海道)の今治ICを下り、そのまま10分くらい直進すると南光坊西交差点に当たるので右折します。

そのまま約5分進むと旭町4丁目交差点の手前に今治城と書かれた青看板が出てきます。青看板に従い旭町4丁目交差点を左折、その後2つ目の信号を左折すると今治城の駐車場に着きます。

今治駅から徒歩で20分~30分、また駅から今治城前を経由するバスも出ているようです。

 

今治の由来

今治城

文献を見てみると13世紀頃に一遍上人の聖絵に『今針』、東大寺の僧、凝然におくった消息文に『今治』が登場。別に『今治の津』とも『今針の津』ともあります。十四世紀後半には『今張』と『太平記』大館氏明の章に載っています。

今治おもしろ百科【今治の名前の由来は?】より一部引用

上記引用のサイトによると、現在は今治を『いまばり』と読みますが、かつては『いまはる、いまばる、いまはり』などと様々な呼び名があったといいます。

1600年の関ヶ原の戦いの功績により、ここを与えられた藤堂高虎が『これからこの地を治める』という意味で『今治』の字を当てたとも書かれています。

 

吹揚城とも呼ばれる

今治城

今治城には吹揚城という別名があります。

写真は今治城内に鎮座する、1872年(明治5年)に建立された吹揚神社です。

風で砂などが吹き上がる土地柄から吹揚という名が使われるようになったとのこと。

 

今治城と藤堂高虎

今治城

十一月十八日太神君論功公益封十二萬倂舊二十萬石有伊豫半州國府城移築于今治

聿脩録より

1600年(慶長5年)11月18日、徳川家康公が功績を論じる、藤堂高虎公は12万石加増され、前からの領地と併せて20万石、伊予国の半州を手に入れる。国府城から移動し今治城を築く。

藤堂高虎は初め浅井長政に仕え、織田信長、豊臣秀吉と主君を何度も変えつつ、最後は徳川家康に従い大出世した人物です。

築城名人として知られ伏見城や大阪城、江戸城など多くの城々の築城及び改修、改築に携わっています。その優れた能力を見抜いた秀吉や家康は彼に絶大な信頼を寄せました。

今治城の築城監督者は渡辺了(勘兵衛)、木山六之丞であったと云います。現在も今治に残る『木山音頭』は六之丞が作業員たちを奮い立たせるために歌わせた名残とのことです。

 

幻の天守

今治城

宗国史という古書に『改今治地造大城、城中建五層高楼』と書かれているそうです。これは藤堂高虎が後に移った津藩の歴史について書かれたものですが、この記述が正しければ今治城には五層の天守があったことになります。

しかし一次資料が現存していないですし、また天守台の遺構も発見されていません。そもそも存在しなかった、或いは高虎の移封に従って解体され素材は幕府に献上、それが丹波亀山城の天守の材料になったなどといった説があります。

ですので、現在今治城跡には大変立派な五層天守が聳えていますが、これは想像の産物なのです。

 

今治城の領主

今治城

十三年戊申八月移封伊賀倂有伊勢十餘萬石地今治城邑二萬石高吉留鎭

聿脩録より

1608年(慶長13年)に藤堂高虎が伊賀と伊勢に移されますが、今治領の統治はそのまま認められ養子の高吉(丹羽長秀の子)が城主となります。

1635年(寛永12年)、徳川家康の甥に当たる松平定房(久松松平家)が今治領を拝されると、高吉は伊勢国、続いて伊賀国名張に移封させられます。

その後、明治維新に至るまで久松松平家が今治藩を治めました。

 

終わりに

今治城

『なぜこんな立派なお城を毀してしまつたのでせう。』

『それは明治二年版籍を奉還すると、藩主久松定法は直ちに知藩事に任ぜられましたが、四年更に廢藩置縣の際華族に列せられたので、藩民に別れを惜しみつゝ東京に移住せられました。それでもうお城など必要がないと思つたのでせうね。城壁・樓櫓悉く打毀されてしまひました。』

今治郷土読本 三・今治城を聽くより

どうやら廃城令が出される前に今治城の建物は殆ど壊されてしまったようです。

以上が今治城の歴史についてでした。

江戸時代後期に今治城下で生まれ育った阿部平助。彼は明治中頃、タオルの将来性を見い出し、生産に力を注ぎ、やがて花咲きます。

『今治=タオル』なのです。

おしまい!

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