愛媛県

今治市

瀬戸内海の大海賊、村上武吉!海賊王におれは…。村上水軍博物館へ訪れて【愛媛の旅】

村上水軍博物館は14世紀中頃(南北朝時代)から瀬戸内海で活躍した村上氏についての博物館です。戦国時代に宣教者のルイス・フロイスが村上氏の水軍を見て『日本最大の海賊』と言ったとのこと。 海賊といっても略奪行為ばかりを行っていたわけではなく、通行料を徴収して海上での安全保障を約束したり水先案内人を務めたりしていました。
大洲市

比志、地蔵ヶ岳、大津。大洲城の3つの別称の由来とその歴史について調べてみた!

愛媛県大洲市、肱川のほとりに聳える大洲城跡。その歴史は古く、鎌倉時代の末期に伊予国の守護として遣わされた宇都宮氏が大洲を拠点とし城を築いたことから始まります。天守は明治時代中頃に取り壊されてしまいましたが、江戸時代後期に建て直された台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓は現存し国の重要文化財に指定されています。
松山市

湯築城の風景と伊予の豪族・河野氏の歴史について紹介する!【愛媛の旅】

14世紀前半(南北朝時代)~16世紀末の約250年間、伊予の豪族・河野氏が湯築城を居城としました。河野氏は越智氏を祖とする地方豪族で善応寺付近にあった河野郷から勢力を拡げたと伝わります。平安時代末期、後に鎌倉幕府を開いた源頼朝が挙兵すると河野通清・通信父子はこれに従い平家の軍と争いました。
今治市

村上海賊の城、能島城跡をカレイ山展望公園から眺める【愛媛の旅】

今治市宮窪町の沖に浮かぶ能島、鯛崎島。村上水軍の頭領である能島村上氏は能島城を築城し居城としました。能島村上氏が史料上に登場した時期と発掘された遺物の時期が一致したことから14世紀後半頃には居城があったと推測されています。この島から戦国時代に大活躍した村上海賊の頭領・村上武吉が出現しました。
今治市

島がまるまる城跡?!村上水軍が治めた来島城跡に行ってきた!【愛媛の旅】

来島城は瀬戸内海で名を馳せた村上海賊の一族が治めた城です。城主の来島村上氏については過去の記事で触れていますので下記のリンクを参考にしてください。今回はちょっと筆を休めて写真メインの記事でお送り致します。波止浜港から来島行の定期船が出ています。港から5分くらいどんぶらこすれば来島に到着です。
今治市

日本三大水城!今治城へ。築城名人・藤堂高虎と幻の天守について【愛媛の旅】

今治城は江戸時代初期、藤堂高虎によって築かれました。平地に建てられた城ですので平城のカテゴリーに属しますが、海陸の要所であった今治城は瀬戸内海に面するように築かれ、堀と海が連結され舟の往来が可能な造りだったため水城にも分類されます。日本三大水城の一つに数えられています。
宇和島市

宇和郡・板島丸串城から始まる宇和島城の歴史について【愛媛の旅】

宇和島城は約80mの小丘に築かれた梯郭式平山城です。旧名を板島丸串城と云います。天守は日本全国に僅か12棟しか残っていない現存天守の一つで、貴重な建造物であることから重要文化財に指定されています。また、宇和島城自体が国の史跡、城山南側の登城口にある上り立ち門が市指定有形文化財に指定されました。
松山市

秋山兄弟生誕地へ!日露戦争で大活躍した好古&真之の人生について【愛媛の旅】

松山市の秋山兄弟誕生地に訪問しました。秋山兄弟は兄の好古、弟の真之のことで共に日露戦争で日本の勝利に貢献した軍人です。司馬遼太郎の『坂の上の雲』は秋山兄弟と正岡子規の人生を主軸に、近代日本の時勢を表現した作品です。また司馬遼太郎の死後、テレビドラマ化されNHKで放映されました。
松山市

加藤嘉明が築城した伊予・松山城の歴史と城にまつわる伝説について【愛媛の旅】

伊予松山城は日本全国に12城しかない現存天守の一つで、天守以外にも多くの建造物が重要文化財に指定される歴史的価値の高い城として人気を集めています。それに併せて当県の代表的な観光地である道後温泉が近所にあるため、多くの観光客で賑わっています。勝山に築かれた当城は日本三大平山城の一城に数えられます。
今治市

甘崎城の歴史について!年に数回しか登城できない古城島を遠くから眺める…。【愛媛の旅】

甘崎城は愛媛県今治市にある大三島(おおみしま)の東に浮く古城島に築かれた海城です。瀬戸内海を縄張りにしていた村上水軍の一族は、大三島と伯方島の間に位置する鼻栗瀬戸を押さえるための拠点としてこの島を選びました。甘崎城には石垣や岩礁ピットなどの遺構が残っています。しかし容易に見学させてくれません。