国東市

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吉弘城跡と豊後大友氏に仕えた義の家系・吉弘氏について【大分の旅】

吉弘城は西ヶ谷の城山頂上に築かれた山城です。1334年に吉弘氏初代の正堅によって築城されたと伝わります。遺構は石畳や土塁、竪堀、石垣などが残っているようです。頂上の案内板に館跡とあったのでもしかしたらこの辺りに館が建っていたのかもしれない。ってな感じで全く整備されていないのでどれが遺構なのか素人にはわからないです。
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足利尊氏、黒田官兵衛、宮本武蔵と縁がある?富来城跡について【大分の旅】

富来城は1261年(鎌倉時代)に永井実貞が国東半島の富来に築城したとされています。永井実貞は豊後大友氏の祖・大友能直が相模国(神奈川県)から下向した際に追随してきた鎌倉御家人で後に地名の富来を名乗るようになったようです。もしかすると永井実貞とは全く関係のない土着の永井氏が築城して富来氏を名乗ったのかもしれません。
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古代にタイムスリップ!安国寺集落遺跡『弥生のムラ』【大分の旅】

写真の竪穴住居は平成5年の発掘調査で見つかった弥生時代後期の集落跡をもとにして復元されたものです。昭和24年から27年の調査では多くの土器が発掘され東九州地方の弥生時代を代表する土器として『安国寺式土器』と名付けられました。またこのとき炭になった米が発掘されたことから日本初期の農耕文化を解明する重要な発見から『西の登呂』と呼ばれ注目を集めました。
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お金のパワースポット!富来神社へ参拝してきた【大分の旅】

959年(天徳3)、鎌田政弘なる人物が兵庫県の廣峰神社に参籠し牛頭天王の神託を賜ります。『私は西海へ行きたい。船を造り分身を連れていきお供しろ。船が止まった場所を庶民守護の地とする。』ってな内容。そしてたどり着いたのが富来港沖。政弘は富来郷の庶民にこのことを伝えると皆感激して迎え入れ社を建てました。これが富来神社の成り立ちとのことです。
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国東の武蔵町を見下ろす小城観音堂と展望公園【大分の旅】

大分空港すぐ近くにある小城山。地元の人間しか知らない隠れスポットがここにあります。養老元年(717年)に創建されたと伝わる小城観音堂。度重なる火災で歴史的な遺構は燃え尽きてしまいましたが雰囲気はなかなかのものがあります。小城展望公園では清々しい景色が広がり国東市武蔵町を見下ろせ晴天時なら四国の佐田岬が見ることが出来ます!
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墓から生まれた坊主のカリスマ!通幻寂霊禅師とは?【大分の旅】

通幻禅師の生涯を見る前に『子育て幽霊(産女)』という日本の怪談を紹介するのでまずはどうぞ。 とある夜、飴屋が店じまいの準備をしていました。そこに髪を乱した青白い顔の若い女が現れ『飴を下さい…。』といい一文銭を差し出します。飴屋の主人は驚きな...
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豊後大友氏の一族、田原氏の居城だった国東半島の安岐城へゆく【大分の旅】

築城者とされる田原氏は豊後大友氏初代・能直の庶子である泰広を祖としています。能直は源頼朝の部下ですので平安時代後期から鎌倉時代の人物です。田原氏は能直の子供から繋がっている家系なので大友三家の一つに数えられています。豊後国図田帳という文書の田原郷の項目に泰広の名前があるので地名から苗字を取ったことがわかります。
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国東半島の両子山と両子寺七不思議について【大分の旅】

大分県北東部にある国東半島は自然に恵まれた美しい場所です。半島中心には両子山が聳え、その頂上付近に両子寺があります。今回は両子山と両子寺の七不思議について紹介を致しましょう。それでは参ります!次は七不思議を見ていきましょう。殆どが両子寺境内にあります。