港区高輪にある江戸時代の史跡・高輪大木戸跡を見に行きました。
大木戸とは簡易関所のことで、高輪大木戸は旧東海道の両側に石垣を設け、江戸の南玄関口として人々の出入りを監視しました。
また人が多く集まる場所なので高札場としても活用されています。
高輪大木戸跡の場所
京登り、東下り、伊勢参りの旅人の送迎もここで行われ、付近に茶屋などもあって、当時は品川宿にいたる海岸の景色もよく月見の名所でもあった。
史跡 高輪大木戸跡の案内板より
だそうです。
高輪大木戸跡は泉岳寺駅のすぐ近くにあります。
伊能忠敬と高輪大木戸
寳永七年江戸ノ東海道口ニ営造セラレ木戸ヲ設ケテ出入ヲ警備セシモノナリ 享和中伊能忠敬ノ全國ヲ側量セルモ此處ヲ基点トセリ 維新後撤廃セラレテ道路ノ両側ニ石疊ノミアリシモ現今其ノ東側ノミヲ存シ舊規尚見ルベキモノアリ
文化遺産データーベース 高輪大木戸跡より
実測の日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬は西日本の測量の際に高輪大木戸を基点にしました。
伊能忠敬の功績を世に広めた佐野常民は『高輪大木戸跡に像や碑を建てるべき。』といったそうですが、高輪大木戸跡ではなく芝公園の芝丸山古墳後円部に伊能忠敬測地遺功表が建てられました。
終わりに
高輪大木戸跡はかなりマイナーな史跡だと思います。
毎日のように前を通っていたとしても気付かない人がいるほどです。
当たり前の日常を過ごしているなかでも、ちょっと視線を変えて歩いてみると新たな発見があるかもしれません。
些細な事でも知らなかったことを知るということは人生において大切な刺激です。
そしてそれは無限大に繋がっています。
『マイナー歴史スポット・高輪大木戸跡』から『伊能忠敬』に繋がり、彼の功績を称えた『佐野常民』がいて『佐野といえば赤十字』。
『日本赤十字を創ったきっかけ』は『西南戦争』……。
と知れば知る程、永遠に繋がっていきます。
繰り返し、繰り返し、新しい発見をしていくうちに知識が積み重なり、やがて心までもが豊かになっていくと私は信じています。
高輪大木戸跡とは殆ど関係のない話になってしまいましたが以上です。
おしまい!