歴史

佐賀市

佐賀城の風景を眺めて。幕末の名君・鍋島直正公についてざっくり紹介します【佐賀の旅】

室町時代後期。肥前国佐賀郡は少弐氏から下剋上を果たした龍造寺氏によって支配されていました。当主の龍造寺隆信が沖田畷の戦い(1584年)で戦死すると、重臣の鍋島直茂が中心となって龍造寺家を支えます。江戸時代に入ると龍造寺氏が居城にしていた村中城を鍋島直茂・勝茂父子が改修、拡大します。これが佐賀城の始まりです。
大分市

ずっと大友宗麟の居城だと思っていた府内城へ!

築城年は1597年。初めは府内城ではなく地名から荷揚城と呼ばれていました。築城者は豊臣家臣の福原直高という人物です。福原直高は播磨赤松氏の一族で出で、石田三成の妹を娶りました。 朝鮮出兵では軍監として渡航します。このとき石田三成たちと武闘派の武将が軍令違反した!と秀吉にチクったため武闘派と対立してしまいます。
長浜市

秀吉の居城・長浜城へ!ここから秀吉は更なる躍進を遂げることになるのだけれど…。それはまた別のお話で

1573年(天正元年)に朝倉、浅井氏との戦いで戦功をあげた織田家臣の木下藤吉郎秀吉は滅亡した浅井氏の故地を拝領しました。秀吉は浅井氏本城だった小谷城にしばらく住んでいましたが今浜(現在の長浜)が交通の要衝と判断し築城を開始します。そして城が完成し地名を長浜と改めここを居城とし更なる躍進遂げることになります。
大洲市

比志、地蔵ヶ岳、大津。大洲城の3つの別称の由来とその歴史について調べてみた!

愛媛県大洲市、肱川のほとりに聳える大洲城跡。その歴史は古く、鎌倉時代の末期に伊予国の守護として遣わされた宇都宮氏が大洲を拠点とし城を築いたことから始まります。天守は明治時代中頃に取り壊されてしまいましたが、江戸時代後期に建て直された台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓は現存し国の重要文化財に指定されています。
白河市

白河小峰城に登城!お城の歴史と人柱伝説・おとめ桜について【福島の旅】

福島県白河市の白河小峰城に訪問しました。当日は寒波の影響で大雪が降っていたため辿り着くまでに大変苦労した記憶が残っています。雪道運転にそれほど抵抗はないのですが、やはり少しの油断が大事故に繋がりますので物凄く神経を使います。今回は冬の白河小峰城の景色とその歴史、最後に人柱伝説『おとめ桜』について見ていきます。
高崎市

白衣観音で有名な観音山の高崎百庚申を巡ろう!【群馬の旅】

高崎市の観音山丘陵にある百庚申を巡りました。庚申塔に興味をお持ちは少ないかもしれませんが、掘り下げて調べてみると昔の人々の生活が垣間見れてなかなか楽しいですよ!庚申については下仁田百庚申でまとめましたので、この記事をご覧になる前に一読していただくとわかりやすいかと思います。
渋谷区

勝利のパワースポット!日本を勝利に導いた東郷平八郎が祀られる東郷神社に参拝【東京の旅】

東郷神社は都会の喧騒の中、静かに佇む神聖な場所。ここの雰囲気が大好きでよく訪れたものです。勝利の神様が祀られているということでクソ真面目に仕事をしていたときは『いい結果が出ますように!』と参拝して御守りを買いに来たりもしました。恐らく私の人生で東京に長期間滞在することはもうないと思うので最後の記念に訪問しました。
北九州市

今は無き、洞海湾に沈んだ若松城、若戸大橋を眺めて!こんなところに城があったなんて想像できないな【福岡の旅】

1500年前半には城があったとされていますが、築城年や築城者は不明です。船の往来を監視するために造られたものだと思われます。関ヶ原の合戦後の1601年、筑前入りした黒田長政は国境を守るため黒田六端城と呼ばれる6つの城を築きました。その中の一つが若松城で城主は三宅家義という武将でした。一国一城令で若松城は廃城に。
神戸市

運河に沈められた兵庫城跡へゆく!遺構が眠る新川運河とイオンモール神戸南店をぼんやりと眺めてきた【兵庫の旅】

兵庫城は戦国時代に織田信長家臣の池田恒興によって築城されました。江戸時代に入ると尼崎藩の領になり陣屋が置かれます。尼崎藩は建部氏から始まり戸田氏、青山氏を経由して桜井松平氏の松平忠興の代で明治時代を迎え廃藩になりました。明治維新後、城跡に兵庫県庁が設置されましたが、すぐに別の所に移動されます。
津山市

日本三大平山城の一つに数えられる津山城へ!何故、津山藩は財政難に悩まされたのか?【岡山の旅】

津山城は1604年に起工し、1616年に完成しています。築城者の森忠政は織田家臣・森可成の六男として生を受けました。兄弟に森長可や森蘭丸がいます。忠政には多くの兄がいましたが、みんな戦死しています。まさか自分が当主になるとは思ってもいなかったでしょう。ちなみに本人は桃を食べたことによる食中毒で亡くなっています。
浜田市

幕末期に翻弄された浜田城の歴史について簡単に紹介する!【島根の旅】

浜田城は1620年に築城が開始され、3年後の1623年に完成しました。北は松原浦、西と南に浜田川、東には浅井川、海と河に囲まれた標高67mの丘陵頂上部に築かれています。亀山城という別称もあります。浜田城が築かれた丘陵は古来より『鴨山』或いは『神山』などと呼ばれていましたが、築城する際に『亀山』と改称したとのこと。
鹿児島市

別件で周辺を探索している時に見つけた牛掛灘の古戦場の案内板について【鹿児島の旅】

鹿児島県に訪れた際に通りすがった牛掛公園。南北朝時代にこの周辺で合戦があったらしく公園の片隅に説明板がありました。牛掛灘の戦いとは如何なるものだったのでしょうか?牛掛灘の合戦は1347年に島津貞久と谷山忠高の間で起きた争いのようです。後醍醐天皇から征西大将軍に任命された懐良親王は吉野から四国を経由して薩摩に上陸。
伊勢崎市

群馬一の低い山?伊勢崎市の八寸権現山に登ってみた【群馬の旅】

伊勢崎市に群馬で一番低い山があると聞き早速向かうことにしました。 その名は八寸権現山(はちすごんげんやま)。住宅街の中にポツンと佇むこの山は赤城山の斜面にある標高91m、直径約200mの流れ山です。 ・流れ山とは 山が崩れて出来た土砂が流れ...
朝来市

竹田城の歴史について!天空の城?日本のマチュピチュってどんなところ?【兵庫の旅】

竹田城は朝来市にあるの古城山山頂に築かれた山城です。古城山が伏せた虎に似た外観をしていることから虎臥城とも呼ばれたりします。江戸時代後期に書された和田上道氏日記では嘉吉年間に安井ノ城が築かれたとあります。安井ノ城は竹田城のことを指します。竹田城の始まりについては口碑が残るのみで不明な点が多いのです。
福岡市

福岡城へ!城の起源と歴代藩主の黒田氏についてザックリ紹介する【福岡の旅】

江戸時代前期に黒田長政によって福岡城は築城されました。以後、明治維新に至るまで黒田氏が福岡城を居城とし、約43万石の領地を治めることになります。明治期の廃城令で存城処分となりますが、城内の多くの建物は移転もしくは撤去されてしまいました。現在、南二の丸・多聞櫓が国の重要文化財に指定され、他にも…。