古戦場

日南市

飫肥城と伊東氏の歴史について。当地を島津氏と80年以上もの間、奪い合った結末は?【宮崎の旅】

飫肥城は宮崎県日南市中央部に位置する飫肥地区にあった城です。築城年や築城者は不明ですが、南北朝時代には存在していたのではないかと考えられています。戦国時代に入ると伊東氏と島津氏が飫肥城を巡り争っています。日向国から追い出された伊東氏は、路頭に迷いながらも最後は飫肥の地を取り戻し、明治維新に至るまで飫肥藩主を務めました。
白河市

白河小峰城に登城!お城の歴史と人柱伝説・おとめ桜について【福島の旅】

福島県白河市の白河小峰城に訪問しました。当日は寒波の影響で大雪が降っていたため辿り着くまでに大変苦労した記憶が残っています。雪道運転にそれほど抵抗はないのですが、やはり少しの油断が大事故に繋がりますので物凄く神経を使います。今回は冬の白河小峰城の景色とその歴史、最後に人柱伝説『おとめ桜』について見ていきます。
鹿児島市

別件で周辺を探索している時に見つけた牛掛灘の古戦場の案内板について【鹿児島の旅】

鹿児島県に訪れた際に通りすがった牛掛公園。南北朝時代にこの周辺で合戦があったらしく公園の片隅に説明板がありました。牛掛灘の戦いとは如何なるものだったのでしょうか?牛掛灘の合戦は1347年に島津貞久と谷山忠高の間で起きた争いのようです。後醍醐天皇から征西大将軍に任命された懐良親王は吉野から四国を経由して薩摩に上陸。
熊本市

加藤清正公が築城した熊本城へ。隈本から熊本に改称した理由は?【熊本の旅】

肥後国誌に隈本の由来そして隈本から熊本に改称された理由が書かれています。少し長いですが引用します。肥後国誌でも俗説と断っているので本当のところどうだったのかはわかりません。『阝に畏れる』を縁起悪いと考えた理由は何となく理解できます。『熊』は強くて勇ましいという印象からでしょうか?
七尾市

日本五大山城に数えられる七尾城を散策してきたので紹介するよ!【石川の旅】

七尾城は石川県と富山県に跨る石動山の北端に築城された山城です。能登国の守護・畠山氏の居城として知られています。七尾という名前は主郭がある尾根から枝分かれする7つの尾根が由来とのこと。能登に訪問した京都・東福寺の彭叔守仙(ほうしゅくしゅせん)が独楽亭記という詩を詠み当時の七尾城の様子を伝えています。
大分市

鶴崎の歴史と乙津川の戦いを勝利に導いた妙林尼について【大分の旅】

大分市にある鶴崎城は大野川と乙津川に挟まれた中州に位置し、北側は別府湾に面する天然の要害に築かれました。古くから海上交易が盛んに行われ要所として発展。鎌倉時代から戦国時代末期までは豊後国の大名・大友氏によって支配されました。鶴崎の地は配下の吉岡氏に与えられ、鶴崎城が築城されたと云われています。
東吾妻町

真田幸村のお爺さん・幸隆が城主だった天然要害・岩櫃城跡へ!【群馬の旅】

岩櫃城の築城者および築城年はわかっていません。一説によると1400年くらいに越前国(福井県)からやってきた斎藤憲行という人物が築城したと云われています。斎藤氏は上杉謙信の後ろ盾を得て、吾妻一帯を掌握するほどの力を付けました。しかし1560年代に上野侵攻を目論む武田信玄に目を付けられてしまいます。
岐阜市

岐阜城の歴史と美濃のマムシこと斎藤道三の国盗りについて【岐阜の旅】

稲葉山城(岐阜城)を拠点にした斎藤道三の一代国盗りはあまりに有名です。でも最近の研究では親子二代で国を乗っ取った説が有力になっているようです。ですので斎藤道三の前半生は父の庄五郎の後半生と入り混じっていてかなりややこしいことになっています。今回は岐阜城の歴史と斎藤道三の国盗りについて書いていきます。
別府市

別府温泉が戦場に?豊後大友氏最後の合戦・石垣原の戦いについて

天下分け目の合戦、関ヶ原の戦いは各地の大名や浪人らの思惑が入り乱れた壮大な物語です。九州では豊後大友氏の再興を目指す大友義統と九州統一を狙った黒田官兵衛が石垣原で死闘を繰り広げました。 結論からいいますと黒田官兵衛の勝利で大友義統の再興の夢は叶いませんでした。それでは石垣原合戦古戦場を紹介します!
臼杵市

大友宗麟が国崩し(大砲)をぶっ放して守り切った臼杵城に行ってきた!【大分の旅】

臼杵市の城下町は風情があります。古めかしさの中に新しきを取り入れた街並みには感心するばかりです。歴史が好きな方は勿論、それ程興味のない方でも、あの街並みを散策するだけで充分に楽しめることでしょう。さて、そんな城下町の中心にあった臼杵城とはどんなお城なのか?臼杵城の風景とその歴史について紹介致します。
木城町

耳川の合戦とは?大友vs島津の決戦をフロイス日本史から見る【宮崎の旅】

耳川の戦いは1578年に大友宗麟と島津義久の間で行われた合戦です。耳川で場所で起きたと思われがちですが、実際は高城という城を巡って争われました。この戦いで大敗を喫した大友氏は没落の一途を辿ることになります。今回はルイス・フロイスの日本史を参考にしながら耳川の戦いについて書きます。
平群町

信貴山城の歴史について!戦国の世を震撼させた梟雄・松永久秀の終焉の地を歩く【奈良の旅】

信貴山城は信貴山の雄嶽を中心として東西550m、南北700mに広がる大規模な中世山城です。郭は120以上もあったとされています。戦国時代を震撼させた戦国三大梟雄の一人に数えられる松永久秀の居城であり、織田信長に追い詰められた久秀が茶器・古天明平蜘蛛を抱いて爆死したという逸話が残る場所でもあります。
安来市

月山富田城と尼子経久・晴久について!軍記物語から歴史をふりかえる【島根の旅】

島根県安来市にある月山富田城跡。戦国時代には山陰の雄・尼子氏が居城とし大内義隆や毛利元就などの強豪たちと争いました。月山富田城は難攻不落の山城として知られています。月山は標高183.9mしかありませんが、本丸に向かう途中にある七曲がりの急坂を下から眺めれば『強行突破は無理だわ…。』と誰でも思うはず。
熊本市

神風連の乱とは?かれらは何を思って明治政府に戦いを挑んだのか【熊本の旅】

1876年(明治9年)10月24日、神風連の乱は起きました。元肥後藩士の太田黒伴雄、加屋霽堅、斎藤求三郎が率いる神風連は明治政府に戦いを挑みます。熊本鎮台の司令長官や県令を襲撃し、その後熊本鎮台へ向かいます。神風連は奮戦するも…。次第に追い込まれ相次ぐ指導者たちの戦死により瓦解しました。
伊丹市

信長もビックリ!?荒木村重の謀反と有岡城の戦いの悲劇について【兵庫の旅】

伊丹城は摂津の国人衆・伊丹氏が南北朝時代に築城したと云われています。戦国時代になると荒木村重が伊丹城を攻め落とし入城。村重は伊丹城を居城と定め、大改修を行った後、有岡城に改名しました。村重は摂津池田氏の家臣、荒木義村の息子として生を受けました。後に織田信長に見出され家臣となりますが…。
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