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薩摩島津氏が築城した鹿児島城へ行ってきた!その歴史を簡単に紹介する【鹿児島の旅】

薩摩島津氏の初代は平安時代後期から鎌倉時代に活躍した惟宗忠久という人物です。忠久は源頼朝から南九州の島津荘の下司職に任じられます。その土地の名前から代々島津氏を名乗るようになりました。『中世島津氏研究の最前線』によると鎌倉期の島津本宗家は鹿児島県出水市の木牟礼城を拠点にしたと書かれています。
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薩摩島津氏15代目・貴久が築城した内城へ!訪問しての感想は『もう少し情報が欲しかった』です【鹿児島の旅】

島津貴久はそれまでの居城だった清水城を出て内城を築城します。貴久の長子である義久もここを居城としました。薩摩藩初代藩主の島津忠恒が鶴丸城(鹿児島城)を築くと内城は使用されなくなり大龍寺が建立されます。大龍の名は島津貴久の戒名『南林寺殿大中良等庵主』と島津義久の法号『龍伯』から取られています。
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西郷隆盛に最も信頼された漢?寡黙の少将・篠原国幹について【鹿児島の旅】

篠原国幹は薩摩藩の武士、及び陸軍軍人です。戊辰戦争では薩摩藩三番小隊長として鳥羽伏見の戦い、上野戦争、奥羽征伐を転戦。その功績により陸軍大尉、次いで陸軍少将に任命されます。西郷隆盛が参議を辞職した際、篠原もそれに追随、西南戦争で一番大隊大隊長となり奮戦するも吉次峠で銃弾を受け戦死してしまいました。
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晋どん、もうここらでよか…。激動を生きた別府晋介の人生について【鹿児島の旅】

別府晋介は西南戦争の最終盤で西郷隆盛の介錯をした人物として有名です。彼は1847年に鹿児島県吉野村に生を受け、1877年に鹿児島県の城山で亡くなりました。今回、別府晋介誕生地と埋葬地の南洲墓地に行ってきました。1934年6月28日に発行された【近世名将言行録】を引用しつつ別府晋介の生涯を紹介します。
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桐野利秋誕生地と彼の墓地へ!人斬りと呼ばれた彼の人生について【鹿児島の旅】

西郷隆盛洞窟 案内板より引用 世に、桐野利秋ほど毀誉褒貶の定かならぬ人物も、また珍しい。 東郷 隆 著 九重の雲 第一章 唐芋侍より 桐野利秋が主人公の歴史小説【九重の雲】の冒頭。 毀誉褒貶と言うけれど、悪いイメージ...
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村田新八誕生之地へ!『村田新八 西郷と大久保 二人に愛された男』を読んで【鹿児島の旅】

村田新八は幕末から明治初期に活躍した薩摩藩出身の政治家です。1877年に起きた西南戦争で西郷隆盛率いる薩軍・第二大隊大隊長として奮戦するも次第に追い詰められ、鹿児島の城山で西郷たちと共に命を落とします。【西郷と大久保 二人に愛された男 村田新八】を参考にしてその人生を振り返っていきます。
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英雄・東郷平八郎の生涯!彼のゆかりの地を訪れて【鹿児島の旅】

1848年、東郷平八郎は鹿児島加治屋町に生まれました。誕生地の案内板に『芯の強い子として西郷隆盛の次弟吉次郎に可愛がられました。』とあります。西郷隆盛の末弟である小兵衛に漢籍を学んだという文献も見受けました。西郷隆盛は約20歳年上です。きっと尊敬の対象として、大きな背中を見て育ったのでしょう。
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