福岡県

八女市

たまたま通りすがった星野村の石積の棚田を見て思う【福岡の旅】

棚田は急斜面に作られた階段状の田んぼのことをいいます。八女市星野村の広内・上原地区の棚田は約12.6haに137段、425枚の棚田が標高差約230mの急斜面にあります。ここは山間部のため平野が少なく水田面積を確保出来なかったため作られました。起源はわかっていませんが、機械が存在しない時代からあることは間違いありません。
北九州市

小倉城へ!デートに最適な観光地ってこういうところをいうんだろうな【福岡の旅】

戦国時代には毛利氏と大友氏が小倉周辺で激しい戦闘を繰り広げています。少なくともその頃には小倉城があったようです。豊臣秀吉による九州征伐の後は毛利勝信が小倉城に入城しています。関ヶ原の戦いで毛利勝信は西軍に味方したため小倉城は東軍(?)の黒田官兵衛に囲まれ降伏、落城しています。毛利勝信は改易されています。
北九州市

源平合戦から江戸時代に廃城になるまでの門司城の歴史について【福岡の旅】

門司は『もじ』と読みます。門司は九州と本州を結ぶ最短の位置にあることから古来より人の往来があり関所が置かれました。この関所が門司関と呼ばれ、そのまま地名になりました。門司城跡の案内板に『平安時代後期に長門国目代の紀井通資が平知盛の指示を受け城を築いたと云われている。』といったことが書かれていました。
北九州市

今は無き、洞海湾に沈んだ若松城、若戸大橋を眺めて!こんなところに城があったなんて想像できないな【福岡の旅】

1500年前半には城があったとされていますが、築城年や築城者は不明です。船の往来を監視するために造られたものだと思われます。関ヶ原の合戦後の1601年、筑前入りした黒田長政は国境を守るため黒田六端城と呼ばれる6つの城を築きました。その中の一つが若松城で城主は三宅家義という武将でした。一国一城令で若松城は廃城に。
福岡市

福岡城へ!城の起源と歴代藩主の黒田氏についてザックリ紹介する【福岡の旅】

江戸時代前期に黒田長政によって福岡城は築城されました。以後、明治維新に至るまで黒田氏が福岡城を居城とし、約43万石の領地を治めることになります。明治期の廃城令で存城処分となりますが、城内の多くの建物は移転もしくは撤去されてしまいました。現在、南二の丸・多聞櫓が国の重要文化財に指定され、他にも…。
久山町

立花山城の歴史について!立花道雪と誾千代の居城を登る【福岡の旅】

立花山城は福岡市、新宮町、久山町に跨る立花山に築かれた山城です。鎌倉時代或いは南北朝時代、豊後大友氏の立花貞載が博多を支配するために築城したと伝わります。戦国時代に入ると立花鑑載が主家の大友宗麟を裏切り毛利元就に従ったため、宗麟は立花山城に戸次鑑連(道雪)と吉弘鎮信を派遣し、これを滅ぼします。
柳川市

返り咲きの名将軍!立花宗茂の居城、柳川城跡を眺める【福岡の旅】

柳川城は1558年から1569年の間に蒲池鑑盛が本格的な城郭として整備したと伝わっています。城内や城下町に水堀を張り巡らし難攻不落の要害を作り上げました。その水堀は現在の柳川市の至る所に残っており柳川観光名物の川下り船が流れています。今回は柳川城の様子と歴史を紹介します。