足尾の奥地にある三川合流ダム。正式には足尾砂防堰堤というらしい。
ここから松木川を遡っていくと明治時代後期まで存在した松木村の跡地があります。
今回は画像メインで進めていきましょう。
当時足尾でもっとも大きな村の一つ、松木という村です。今では家の跡すら残っていませんが、江戸時代後期の記録では三十七戸一七〇人もの村人が支え合って生活をしていたといいます。
現地案内板 足尾ふるさとの森づくりより
養蚕が盛んに営まれていたそうです。
ひとつ山を越えると日光なので外界との交流もそれなりにあったのかもしれません。
三川合流ダムの『三川』は松木川、久蔵川、仁田元川のことを指します。
それぞれの川沿いに集落がありましたが、足尾銅山の稼働を切っ掛けに住民は去らざるを得なくなりました。
銅山運営に必要な樹木の伐採や製錬所からの煙害、残渣の廃棄などの影響により足尾の山々の生命力は急激に失われました。
それに伴い農作物や蚕の飼料である桑の木も壊滅的なダメージを受け、住民は生活することすらままならくなり立ち退きを余儀なくされています。
旧松木村には石碑や祠がそのまま残されています。
それ以外の遺構も探せばあるのかもしれません。
孤高の石祠。
足尾で生活されていた方曰く『これでも緑が戻って来た』とのこと。
終わりに
石垣を発見しました。これは松木村の遺構でしょうか。
詳しい人がいらしたら是非同行させていただきたいものです。
おしまい!