現在の沼田城跡はプチ動物園&公園として整備されていますが、遺構は殆ど残っていません。
戦国時代に活躍した真田信繁(幸村)の兄、真田信之が城主を務めたことで知られる城です。
目立つ遺構こそありませんが、
ここを拠点に自家の存続に命をかけて戦った男がいたんだなぁ。
と想像を巡らせて散策するだけで十分楽しめるかと思います。
沼田城跡の場所
電車を利用するならJR沼田駅下車、徒歩15分程で着きます。
自動車なら関越自動車道沼田インターチェンジを下りて右折し道なりに進みます。
材木町の信号を通り越した先に沼田公園の看板が出てきます。
沼田城について
沼田城は1532年に沼田顕泰(あきやす)が築いたと云われています。
沼田氏は後北条氏の傘下に入りますが、上杉謙信に攻め落とされてしまいました。
謙信亡き後に起こった『御館の乱(上杉家のお家騒動)』の混乱に乗じて再び沼田城は後北条氏の手に渡ります。
1580年、甲斐武田氏の配下・真田昌幸が調略を仕掛け沼田城を攻略。
1581年、後北条氏の傘下にいた由良氏の援護を受けて沼田景義(顕泰の子)が奪還を試みますが、真田昌幸の策に嵌り謀殺されています。
その後、織田信長が武田氏を滅ぼすと織田重臣の滝川一益が入城。
しかし本能寺の変で信長が横死してしまったため滝川一益は後北条家に追われ敗走します。
織田氏の支配が終わり真田昌幸が再び沼田を支配します。
初めは後北条氏に従った真田氏でしたが、紆余曲折あって上杉氏の傘下に入ります。
しかし豊臣秀吉が『沼田城は後北条氏の城だ!』と判断したため再び後北条氏が領することになりました。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐(北条征伐)で後北条氏が滅亡すると、再び真田氏が入城し昌幸の長男、信之が沼田を統治しています。
1600年、関ヶ原の戦いで徳川家康に従った真田信之は真田氏の存続に成功。
逆に反抗し家康に徹底抗戦した父親の昌幸と弟の信繁(幸村)は高野山へ追放されます。
江戸時代に入り真田信之の孫・信利が民衆に苛政を敷いたため、幕府の逆鱗に触れ沼田真田氏は改易になり、沼田城は破却されてしまいました。
沼田城跡は藩庁として使用され、沼田藩主は本多氏、黒田氏と移り変わり最終的に土岐氏が廃藩置県まで統治しました。
終わりに
2016年の大河ドラマで真田幸村(信繁)を放映したので、一時かなり沼田城は賑わったらしいです。
遺構が少ないため注目されませんが、戦国時代の歴史が好きな人にとっては堪らないスポットです。
この一帯には真田氏ゆかりの史跡が多くあるので一度探索してみてはいかがでしょうか?
おしまい!