1673年、岩国領主の吉川広嘉が命じて錦川に架けさせた錦帯橋。
復元された橋なので国指定史跡にこそ認められていませんが、その美しい景観から日本の指定名勝に指定されています。
また、木造五連アーチの橋は世界的にも珍しく日本三大奇橋の一つとしても数えられています。
それでは、錦帯橋の風景とその歴史を見ていきましょう。
錦帯橋へのアクセス&料金
山陽自動車道の岩国ICを下りて右折し国道2号線を道なり進むと青看板に『錦帯橋』とありますので、それに従えば到着します。
駐車場(上の写真)は錦帯橋直ぐ近くの川岸にあります。
小石が多い駐車場なので車高が低い車は危険かもしれません。
混雑時は駐車料金が発生するとのことです。
錦帯橋の通行料金
・橋往復のみ
大人:300円 小学生:150円
・セット料金(往復、ロープウェイ、岩国城入城)
大人:940円 小学生:450円
錦帯橋の歴史
錦帯橋は錦川に架かる木造のアーチ橋です。
1601年に岩国領に入った吉川広家は防御を重視した街づくりを開始しました。
山の上に砦(岩国城)を築城し麓に吉川氏の館、役所や上級武士の居住地を置き、錦川を天然の堀とし対岸に中級武士や町人の町を配置しています。
錦帯橋の着工
岩国城は幕府が発布した一国一城により1615年に廃城になります。
天然の堀(錦川)は戦時中ならば役に立ったでしょうが、守る役目を終えたため不便な川になってしまいました。
こうして二代目の吉川広正は本格的な橋梁の着工を始めます。
アーチ橋の研究
橋は幾度か架けられましたが、川幅が広く砂利が多い川底だったため完成しても増水する度に流されてしまいました。
岩国領主3代目の吉川広嘉は家臣に橋の研究をさせアーチ状の橋を造るように命じます。
しかし、川幅が200mもある錦川にどうやって橋を架けるか見当もつきません。
西湖志と錦帯橋
生来病弱であった広嘉は後年療養に専念する時期がありました。
そのとき明の僧・独立(どくりゅう)に出会います。
独立と交流している内に彼の故郷にあった西湖の話を聞く機会があり、西湖志という本を見せてもらいます。
そこには五つの小島に架かるアーチ状の橋が描かれていました。
完成するが、再び流される
これを見て広嘉は大層喜んだそうです。
小島を橋脚に見立ててアーチ橋を架けるアイデアを思い付いたのです。
それまでの研究と合わせて早速橋の建設を始めます。
無事完成し『もう流れないぞ!』と皆々期待しましたが…。
またすぐに洪水が起こり流されてしまいました。
流れない橋
しかしあきらめない広嘉!
流失の原因が橋脚下部にあったとし一層強化を目指します。
そして敷石の補強、川床に捨石を敷くき、人が渡っても揺れない仕組みを取り入れて橋を補強します。
皆々の努力が実り『流れない橋』がとうとう完成しました。
276年も活躍した錦帯橋
なんと錦帯橋は276年間、1950年(昭和25年)にキジア台風が訪れるまで流失せず残っていました。
このとき酷い洪水が起こってしまった原因は山が荒らされたこと、進駐軍が岩国基地滑走路拡張のため川底の砂利を大量に採ったことから敷石が剥がれのではないかとされています。
もし現存していれば国宝級の橋梁になっていただろうに。
終わりに
錦帯橋付近にはお土産や食事処などが充実していました。
橋を渡った先には写真で紹介した吉川氏関連の史跡や岩国のシロヘビに関する博物館があります。
またロープウェイがあり山上の岩国城跡へも行くことが出来ます。
歩いて歴史を感じるのも良し!ゆっくり飯でも食いながらまったりするのも良し!
おしまい!