今治市

村上海賊の城、能島城跡をカレイ山展望公園から眺める【愛媛の旅】

今治市宮窪町の沖に浮かぶ能島、鯛崎島。村上水軍の頭領である能島村上氏は能島城を築城し居城としました。能島村上氏が史料上に登場した時期と発掘された遺物の時期が一致したことから14世紀後半頃には居城があったと推測されています。この島から戦国時代に大活躍した村上海賊の頭領・村上武吉が出現しました。
今治市

島がまるまる城跡?!村上水軍が治めた来島城跡に行ってきた!【愛媛の旅】

来島城は瀬戸内海で名を馳せた村上海賊の一族が治めた城です。城主の来島村上氏については過去の記事で触れていますので下記のリンクを参考にしてください。今回はちょっと筆を休めて写真メインの記事でお送り致します。波止浜港から来島行の定期船が出ています。港から5分くらいどんぶらこすれば来島に到着です。
中津市

日本三大水城の一角・中津城へ!黒田官兵衛と城の歴史について【大分の旅】

中津城は豊臣秀吉の名参謀・黒田官兵衛(如水)が1588年に築城を開始し、そのあと入封した細川氏が拡張完成させた城郭です。現在の天守は摸擬建築で『天守は無かったのではないか?』といわれています。海水を引き込んだ堀を持つ中津城は日本三大水城の一つに数えられています。
岡崎市

徳川家康の生誕地、岡崎城へ!しかみ像と脱糞伝説について【愛知の旅】

岡崎城は前身は室町時代に三河国の守護代・西郷稠頼と頼嗣によって築城された龍燈山城だと伝わります。そして頼嗣の息子である信貞の代に徳川家康の祖父・松平清康がここを奪い取りました。松平清康は三河松平氏の七代目当主です。世良田次郎三郎とも名乗りました。
久山町

立花山城の歴史について!立花道雪と誾千代の居城を登る【福岡の旅】

立花山城は福岡市、新宮町、久山町に跨る立花山に築かれた山城です。鎌倉時代或いは南北朝時代、豊後大友氏の立花貞載が博多を支配するために築城したと伝わります。戦国時代に入ると立花鑑載が主家の大友宗麟を裏切り毛利元就に従ったため、宗麟は立花山城に戸次鑑連(道雪)と吉弘鎮信を派遣し、これを滅ぼします。
平群町

信貴山城の歴史について!戦国の世を震撼させた梟雄・松永久秀の終焉の地を歩く【奈良の旅】

信貴山城は信貴山の雄嶽を中心として東西550m、南北700mに広がる大規模な中世山城です。郭は120以上もあったとされています。戦国時代を震撼させた戦国三大梟雄の一人に数えられる松永久秀の居城であり、織田信長に追い詰められた久秀が茶器・古天明平蜘蛛を抱いて爆死したという逸話が残る場所でもあります。
高松市

三好一族が守った讃岐国の十河城へ!鬼十河・一存の活躍と十河存保の最後【香川の旅】

十河一存は三好元長の四男として生を受けました。十河城主の十河存春の跡継ぎが早く亡くなってしまったため一存は養子に入ります。兄の長慶が頭角を現すとそれを補佐し各地で転戦。大いに活躍したことから鬼十河の二つ名で呼ばれ敵をビビらせました。しかし、病気には勝てず30歳の若さで命を落としてしまいます。
柳川市

返り咲きの名将軍!立花宗茂の居城、柳川城跡を眺める【福岡の旅】

柳川城は1558年から1569年の間に蒲池鑑盛が本格的な城郭として整備したと伝わっています。城内や城下町に水堀を張り巡らし難攻不落の要害を作り上げました。その水堀は現在の柳川市の至る所に残っており柳川観光名物の川下り船が流れています。今回は柳川城の様子と歴史を紹介します。
鳥取市

羽柴秀吉の攻撃を3度に亘って防いだと云う防己尾城の吉岡将監について【鳥取の旅】

その後、またここを捨て防己尾城を築き、三年ばかり在城した。 この城は山は左側だけ高くないが、本丸、二の丸、三の丸は中国の三壺の一つ蓬萊山のように高く聳え、湖山池の内に突き出て、東西は湖水である。 三の丸の方は、陸続きであったが、山の岸は高く底は谷のような堀切である。
安来市

月山富田城と尼子経久・晴久について!軍記物語から歴史をふりかえる【島根の旅】

島根県安来市にある月山富田城跡。戦国時代には山陰の雄・尼子氏が居城とし大内義隆や毛利元就などの強豪たちと争いました。月山富田城は難攻不落の山城として知られています。月山は標高183.9mしかありませんが、本丸に向かう途中にある七曲がりの急坂を下から眺めれば『強行突破は無理だわ…。』と誰でも思うはず。
徳島市

蜂須賀家政が築城した徳島城の歴史と清玄坊の祟りについて【徳島の旅】

清玄坊はこの地で修業した修験者です。現地の案内板によると清和源氏の末裔で、阿波国に入り城山に祈祷所を建て修業したとあります。【徳島市郷土史論】にも似たような話が書かれています。河内國丹南部丹南の住人大林某今川義元に仕へ、今川氏滅亡後、修驗道を修して勢月と號し字を寛理と稱した。(中略)
桐生市

柄杓山の桐生城跡に行ってきたので、機織りで有名な桐生市の歴史を紹介する【群馬の旅】

1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康は桐生に旗絹2410疋を献上するように指示。それ以降、桐生の織物は幕府御用達の品となり全国に桐生織の名を知らしめることになります。1841年の年間織物取引高はなんと70万両!明治期、大正期には最新機器を取り入れたり、専門の学校を設立するなど絹産業の最先端を貫きます。
伊丹市

信長もビックリ!?荒木村重の謀反と有岡城の戦いの悲劇について【兵庫の旅】

伊丹城は摂津の国人衆・伊丹氏が南北朝時代に築城したと云われています。戦国時代になると荒木村重が伊丹城を攻め落とし入城。村重は伊丹城を居城と定め、大改修を行った後、有岡城に改名しました。村重は摂津池田氏の家臣、荒木義村の息子として生を受けました。後に織田信長に見出され家臣となりますが…。
小国町

砦に拠るを読む。蜂の巣城紛争と室原知幸について【熊本の旅】

下筌、松原ダム建設を巡って起きたダム反対運動、蜂の巣城紛争。蜂の巣城紛争はダム水没地区の住民・室原知幸が中心となり、国に対して果敢に挑みました。それでは、蜂の巣城紛争について書かれたノンフィクション小説『砦に拠る』に沿って、どのような戦いだったのかを見ていくことにしましょう。
竹田市

鬼島津から守り切った難攻不落の天然要塞!岡城跡の歴史について【大分の旅】

豊後国をはじめ多くの領地を支配した大友氏は主の宗麟の暴走、重臣たちの死によって窮地に立たされることになります。この隙を逃さなかった島津氏は北西と南から大友氏を攻め立てます。大分県の南端に位置した岡城は真っ先に島津軍の攻略の目標に!支城がどんどん落とされていく中…。さて岡城がどうなったのか見ていきましょう!