犬山市

国宝・犬山城を歩く!その歴史を景色と共に振り返る【愛知の旅】

犬山城は織田信長の叔父・織田信康が築城しました。1547年に信長の父・信秀が美濃の斎藤道三を攻めた際、従軍した織田信康は討ち死にしてしまいます。そして信康の息子、織田信清が犬山城に入城。織田信秀が亡くなり信長の代になると最初こそ従っていた信清ですが次第に仲が険悪になり対立。信清は信長に敗北し甲斐へ逃亡。
北九州市

今は無き、洞海湾に沈んだ若松城、若戸大橋を眺めて!こんなところに城があったなんて想像できないな【福岡の旅】

1500年前半には城があったとされていますが、築城年や築城者は不明です。船の往来を監視するために造られたものだと思われます。関ヶ原の合戦後の1601年、筑前入りした黒田長政は国境を守るため黒田六端城と呼ばれる6つの城を築きました。その中の一つが若松城で城主は三宅家義という武将でした。一国一城令で若松城は廃城に。
神戸市

運河に沈められた兵庫城跡へゆく!遺構が眠る新川運河とイオンモール神戸南店をぼんやりと眺めてきた【兵庫の旅】

兵庫城は戦国時代に織田信長家臣の池田恒興によって築城されました。江戸時代に入ると尼崎藩の領になり陣屋が置かれます。尼崎藩は建部氏から始まり戸田氏、青山氏を経由して桜井松平氏の松平忠興の代で明治時代を迎え廃藩になりました。明治維新後、城跡に兵庫県庁が設置されましたが、すぐに別の所に移動されます。
津山市

日本三大平山城の一つに数えられる津山城へ!何故、津山藩は財政難に悩まされたのか?【岡山の旅】

津山城は1604年に起工し、1616年に完成しています。築城者の森忠政は織田家臣・森可成の六男として生を受けました。兄弟に森長可や森蘭丸がいます。忠政には多くの兄がいましたが、みんな戦死しています。まさか自分が当主になるとは思ってもいなかったでしょう。ちなみに本人は桃を食べたことによる食中毒で亡くなっています。
浜田市

幕末期に翻弄された浜田城の歴史について簡単に紹介する!【島根の旅】

浜田城は1620年に築城が開始され、3年後の1623年に完成しました。北は松原浦、西と南に浜田川、東には浅井川、海と河に囲まれた標高67mの丘陵頂上部に築かれています。亀山城という別称もあります。浜田城が築かれた丘陵は古来より『鴨山』或いは『神山』などと呼ばれていましたが、築城する際に『亀山』と改称したとのこと。
鳥取市

鹿野城の歴史と琉球守・亀井茲矩について調べたので紹介する!【鳥取の旅】

鳥取市にある鹿野城跡へ行ってきました。 いちのまる 私は『DMM GAMEの御城プロジェクトRE』というゲームで鹿野城を知りました。 前置きはこれくらいにして、鹿野城の歴史を見てきましょう。 鹿野城へのアクセス 鳥取市内から県道21号線を進...
朝来市

竹田城の歴史について!天空の城?日本のマチュピチュってどんなところ?【兵庫の旅】

竹田城は朝来市にあるの古城山山頂に築かれた山城です。古城山が伏せた虎に似た外観をしていることから虎臥城とも呼ばれたりします。江戸時代後期に書された和田上道氏日記では嘉吉年間に安井ノ城が築かれたとあります。安井ノ城は竹田城のことを指します。竹田城の始まりについては口碑が残るのみで不明な点が多いのです。
福岡市

福岡城へ!城の起源と歴代藩主の黒田氏についてザックリ紹介する【福岡の旅】

江戸時代前期に黒田長政によって福岡城は築城されました。以後、明治維新に至るまで黒田氏が福岡城を居城とし、約43万石の領地を治めることになります。明治期の廃城令で存城処分となりますが、城内の多くの建物は移転もしくは撤去されてしまいました。現在、南二の丸・多聞櫓が国の重要文化財に指定され、他にも…。
前橋市

群馬県民の内紛?!蚊帳の外の桐生市民が『前橋vs高崎』の歴史を振り返る【群馬の旅】

群馬出身の私は常々こう思っていました。高崎市は前橋市と比べて人口が多く、明らかに都会の雰囲気。新幹線通ってるし。何も知らない人が見たら群馬の中心は高崎市と思うはず。さて、それでは高崎市ではなく前橋市が県庁所在地である理由を、前橋城跡とこの問題に所縁のある場所と共に一緒に見ていきましょう。
熊本市

加藤清正公が築城した熊本城へ。隈本から熊本に改称した理由は?【熊本の旅】

肥後国誌に隈本の由来そして隈本から熊本に改称された理由が書かれています。少し長いですが引用します。肥後国誌でも俗説と断っているので本当のところどうだったのかはわかりません。『阝に畏れる』を縁起悪いと考えた理由は何となく理解できます。『熊』は強くて勇ましいという印象からでしょうか?
明石市

明石城へ!宮本武蔵由来の庭園と重文・坤櫓&巽櫓を見に行った【兵庫の旅】

1618年(元和4年)、小笠原忠真が徳川秀忠の指示を受け明石城の築城を開始しました。築城の目的は西国の諸大名を牽制するため。戦国の世が終わったとはいえ、まだまだ油断ならないと考えたのでしょう。苦労して明石城を築いた小笠原忠真ですが、1632年(寛永9年)に北九州の小倉に移封となってしまいます。
七尾市

日本五大山城に数えられる七尾城を散策してきたので紹介するよ!【石川の旅】

七尾城は石川県と富山県に跨る石動山の北端に築城された山城です。能登国の守護・畠山氏の居城として知られています。七尾という名前は主郭がある尾根から枝分かれする7つの尾根が由来とのこと。能登に訪問した京都・東福寺の彭叔守仙(ほうしゅくしゅせん)が独楽亭記という詩を詠み当時の七尾城の様子を伝えています。
姫路市

国宝であり世界遺産でもある白鷺城こと姫路城を観光してきた!【兵庫の旅】

国宝に指定されている天守は5城。総称して国宝5城と呼びます。中でも姫路城は世界遺産にも指定されている数少ない建築物です。奈良県の法隆寺、広島県の厳島神社、栃木県の日光寺社(東照宮)などが国宝と共に世界遺産に認定されています。姫路城をぐるっと観光してきましたので歴史と共に風景を見ていきましょう。
大分市

鶴崎の歴史と乙津川の戦いを勝利に導いた妙林尼について【大分の旅】

大分市にある鶴崎城は大野川と乙津川に挟まれた中州に位置し、北側は別府湾に面する天然の要害に築かれました。古くから海上交易が盛んに行われ要所として発展。鎌倉時代から戦国時代末期までは豊後国の大名・大友氏によって支配されました。鶴崎の地は配下の吉岡氏に与えられ、鶴崎城が築城されたと云われています。
檜原村

後北条氏の檜原城跡と吉祥寺の十三仏巡りについて【東京の旅】

吉祥寺を登ると十三仏巡拝入口が見えてきます。十三佛信仰は古くからある日本独自の民間信仰です。人間は亡くなってから7日ごとに前世での罪を裁かれるそうです。裁判を担当する十三の仏をここでは参拝することが出来ます。十三佛信仰はそれぞれの日を担当する裁判官に故人が無事に成仏できるよう祈る儀式です。