篠山市

池田輝政や築城名人の藤堂高虎によって築かれた篠山城!江戸時代に築城された理由は何?【兵庫の旅】

篠山城は1609年(慶長14)に山陰道の要所であった篠山盆地の丘陵・笹山に築かれました。築城の理由は大阪城を拠点とする豊臣氏の包囲、西国の諸大名への牽制だったとされています。普請総奉行は池田輝政、縄張は築城名人の藤堂高虎が担当。加藤嘉明や福島正則などの外様大名に築城工事を任せることによって外樣の経済力低下を狙いました。
由布市

アトピー性皮膚炎に効果あり?!酸性の秘湯・塚原温泉、火口乃泉で日々の疲れを癒そう【大分の旅】

由布院の街並みから離れた秘湯・塚原温泉。酸性度が非常に高く、また鉄イオン含有量は日本一という全国的にも珍しい泉質を持っています。その歴史は古く平安時代末期の豪傑・源為朝ゆかりの温泉地としても知られています。大正から昭和初期までは3件の旅館が経営していましたが、現在は日帰り温泉の塚原温泉・火口乃泉だけが営業しています。
宇都宮市

富士山が見える!飛山城と築城者の芳賀氏の歴史について【栃木の旅】

飛山城跡は飛山城史跡公園として整備されています。園内には掘立柱建物や竪穴建物、堀や土塁を復元したものがあり当時の雰囲気を少しだけ再現しています。西側には鬼怒川が流れ、空気が澄んだ冬場の早朝や夕方に富士山が見えます。烽家は『のろしをあげる施設』ということ。飛山の名の由来は烽家から来ているのではないかと云われています。
別府市

貴船城と白へび!金運パワースポットでご利益を得る?【大分の旅】

別府八湯の一つ鉄輪温泉を見下ろす丘の上に貴船城はあります。由来は平安時代末期に活躍した源為朝がこの場所に砦を建てたという伝説からです。ここの見所は城の守り神として祀られている金白龍王という白へびです。へびは古代インドで生まれた川の神様である弁財天の使いといわれています。弁財天は農業の神様でもあり財の神様でもあるため、
別府市

別府地獄めぐり!大分屈指の観光名所はどんなとこ?【大分の旅】

もちろんそれ以外にも大分県には興味深い観光スポットは多くあって、例えば仏教、神道、修験道がごちゃ混ぜになった謎の宗教観を持つ国東半島、戦国時代に活躍した大友宗麟やその家臣にまつわる数多の史跡、全国一の数を誇る磨崖仏(特に国宝・臼杵磨崖仏が有名)…etc.
桐生市

赤城山頂駅から行くパワースポット!御神水の湧水地へ【群馬の旅】

赤城山頂駅は1957年に赤城山頂と黒保根町を繋ぐ赤城登山鉄道の赤城山頂側に設置されたケーブルカーの駅です。交通の発展に従って利用者が減少したため、残念ながら1968年に閉鎖されてしまいました。現在の赤城山頂駅はサントリー・ビア・バーベキューホールに改装され飲食、お土産店として運営されています。
国東市

国東半島の両子山と両子寺七不思議について【大分の旅】

大分県北東部にある国東半島は自然に恵まれた美しい場所です。半島中心には両子山が聳え、その頂上付近に両子寺があります。今回は両子山と両子寺の七不思議について紹介を致しましょう。それでは参ります!次は七不思議を見ていきましょう。殆どが両子寺境内にあります。
杵築市

杵築城跡の資料館にある軍人の遺品を見て俄然杵築に興味が湧いた【大分の旅】

1394年、杵築城は豊後大友氏の一族である木付氏によって築城されました。東に海、南北は川に挟まれた天然の要害として知られています。木付氏は大友氏に殉じた忠義の一族だったようです。意外と大友氏って忠義の将が多いです。だからこそ全盛期にあれだけの領地を抱えることが出来たのでしょう。最後は真っ逆様に落ちていきましたけど…。
長門市

童謡詩人・金子みすゞの記念館に行って。彼女の人生についてまとめました!【山口の旅】

山口県の金子みすゞ記念館に行ってきました。金子みすゞの名前は知っていました。詩人だということも。それ以外は何も知りませんでした。今回の訪問で彼女の人生に触れることが出来ましたので、後学のためにまとめようと思います。金子みすゞは1903年4月11日に山口県大津郡仙崎村で生まれました。本名は『金子テル』。兄と弟がいます。
佐賀市

佐賀城の風景を眺めて。幕末の名君・鍋島直正公についてざっくり紹介します【佐賀の旅】

室町時代後期。肥前国佐賀郡は少弐氏から下剋上を果たした龍造寺氏によって支配されていました。当主の龍造寺隆信が沖田畷の戦い(1584年)で戦死すると、重臣の鍋島直茂が中心となって龍造寺家を支えます。江戸時代に入ると龍造寺氏が居城にしていた村中城を鍋島直茂・勝茂父子が改修、拡大します。これが佐賀城の始まりです。
大分市

ずっと大友宗麟の居城だと思っていた府内城へ!

築城年は1597年。初めは府内城ではなく地名から荷揚城と呼ばれていました。築城者は豊臣家臣の福原直高という人物です。福原直高は播磨赤松氏の一族で出で、石田三成の妹を娶りました。 朝鮮出兵では軍監として渡航します。このとき石田三成たちと武闘派の武将が軍令違反した!と秀吉にチクったため武闘派と対立してしまいます。
長浜市

秀吉の居城・長浜城へ!ここから秀吉は更なる躍進を遂げることになるのだけれど…。それはまた別のお話で

1573年(天正元年)に朝倉、浅井氏との戦いで戦功をあげた織田家臣の木下藤吉郎秀吉は滅亡した浅井氏の故地を拝領しました。秀吉は浅井氏本城だった小谷城にしばらく住んでいましたが今浜(現在の長浜)が交通の要衝と判断し築城を開始します。そして城が完成し地名を長浜と改めここを居城とし更なる躍進遂げることになります。
大洲市

比志、地蔵ヶ岳、大津。大洲城の3つの別称の由来とその歴史について調べてみた!

愛媛県大洲市、肱川のほとりに聳える大洲城跡。その歴史は古く、鎌倉時代の末期に伊予国の守護として遣わされた宇都宮氏が大洲を拠点とし城を築いたことから始まります。天守は明治時代中頃に取り壊されてしまいましたが、江戸時代後期に建て直された台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓は現存し国の重要文化財に指定されています。
白河市

白河小峰城に登城!お城の歴史と人柱伝説・おとめ桜について【福島の旅】

福島県白河市の白河小峰城に訪問しました。当日は寒波の影響で大雪が降っていたため辿り着くまでに大変苦労した記憶が残っています。雪道運転にそれほど抵抗はないのですが、やはり少しの油断が大事故に繋がりますので物凄く神経を使います。今回は冬の白河小峰城の景色とその歴史、最後に人柱伝説『おとめ桜』について見ていきます。
犬山市

国宝・犬山城を歩く!その歴史を景色と共に振り返る【愛知の旅】

犬山城は織田信長の叔父・織田信康が築城しました。1547年に信長の父・信秀が美濃の斎藤道三を攻めた際、従軍した織田信康は討ち死にしてしまいます。そして信康の息子、織田信清が犬山城に入城。織田信秀が亡くなり信長の代になると最初こそ従っていた信清ですが次第に仲が険悪になり対立。信清は信長に敗北し甲斐へ逃亡。