神道、仏教、山岳信仰と入り混じっていた榛名神社には様々な神が存在していた経緯があります。そのためあらゆる願いを聞き入れてくれるということでパワースポットとしても有名です。
また先の大戦中に活躍した金剛型戦艦3番艦「榛名」は最後は傷だらけ(動けない状態)になりながらも榛名神社の神々の力によって終戦を迎えることが出来たといわれているとか。
実際、戦艦榛名の艦内には榛名神社から分祀があり海兵は参拝したり、榛名神社から神職の派遣もあったそうな。運がとても強くなる御利益があるのかもしれません。
榛名神社へのアクセス
様々なルートがあります。わかりやすいルートは関越自動車道の渋川伊香保ICを下り伊香保方面へ向かいます。
国道17号をしばらく走り下郷の交差点を左折、県道33号線に入ります。
道なりに進み国土交通省前のT字路を左折します。
上毛三山パノラマ街道をひたすら進み榛名湖まで向かいます。
そのうち斜め左に入る道があるのでそこを曲がります。(一応榛名神社の看板はあるがわかりづらいかも)
しばらく進むと鳥居が見えてきます。そこが榛名神社です。
榛名神社の歴史
正確な始まりこそ不明ですが恐らく6世紀以前から存在しているのではないかといわれています。鎌倉時代(1210年)に真言宗の快良という僧が初代座主を務めたという記録が残っています。その後戦国時代に入ると座主職を務めるものがいなくなり衰退の途を辿ります。
江戸幕府が開かれ泰平の世が訪れると徳川家康の側近である南光坊天海が榛名神社を復興させたと伝わっています。明治期の神仏分離により仏教色が消され現在に至ります。
本殿付近の建物は豪華でとても美しいです。それでは参ります!
榛名神社
序文であれだけお勧めしましたが本殿まで結構歩きますのでそれだけはご容赦下さい。
10~15分くらいで着きますが、歩き慣れていない人にはしんどく感じるかもしれません。
でも大変な思いをしたからこその感動もありますよね。
八脚門
1847年(弘化4)に建てられた八本の脚で立つ八脚門です。
国指定重要文化財に指定されています。
明治時代以前は仁王像(寺院の警護)が置かれていましたが明治維新後の廃仏毀釈によって仁王像は焼かれ代わりに随神像(神社の警護)が置かれるようになりました。
鞍掛岩
鞍掛岩と呼ばれるアーチ状の岩です。
洞窟が崩れてこの部分だけ残ったらしいです。
縁結び水琴窟
目を閉じ竹に耳をあてると幻想的な響きと空間を感じさせます。
水琴窟とは地下に設置してある甕に水が落ちその反響を楽しむものです。
恋人同士で聞けば、榛名神社のご神水の力で間違いなく縁が結ばれることでしょう。
榛名神社 縁結び水琴窟 水神楽 案内板より
とのことです!
竹が二本あるのはそういうことなのですね。知らずに一人で耳を当ててた自分を思い出すと恥ずかしくなります。
塩原太助奉納玉垣
玉垣は神社の周りにめぐらされている柵のことです。この場合は階段の手摺部分のこと。
塩原太助は現在の群馬県利根郡みなかみ町出身の大商人。
沼田城下の塩原太助
上毛かるた『ぬ』より
と上毛かるたで詠われていますが沼田市出身ではないんですね。
ずっと沼田の偉人だと思っていました。
御庁宣の碑
1190年に後鳥羽天皇が上野国司に下した文章を彫った御庁宣の碑という石碑。
この文章(古文書)は上野国留守所下文と呼ばれ、榛名神社に関しては『国は榛名神社を神聖な霊地として認めたから立入検察しないよ!』的な内容らしいです。
三重塔
群馬県内唯一の三重塔です。
1869年(明治2)に建てられたものです。
光の加減で暗くなってしまったけれど、こういう場合ってどうしたら上手に写真撮れるのでしょう。
行者渓
修験道の開祖である役小角(えんのおづの)がここで修行したことからこの名前が付けられています。また歌川広重の六十余州名所図会という作品の26番目にここが選ばれています。
題名は『上野 榛名山 雪中』
冬化粧を施した榛名山に赤く映える神社という美しい図です。
東面堂
神仏分離の傾向が強くなるまで秘仏の千手観音が安置されていた東面堂と呼ばれる場所です。
現在は何が入っているのでしょうか?気になるところです。
萬年泉
榛名神社は雨乞いの祈願所として有名だったそうです。
赤い柵の御神水を竹筒に汲んで村へ帰り田畑にまくといいことがおきるとか。
萬年泉の碑
1739年(元和4)の石碑。
しっかりとした字体のおかげで300年近く経っているのにはっきり読めますね。
瓶子の滝(みすず)
滝両脇の岩が瓶子岩と呼ばれていたことから名付けられました。瓶子は通常『へいしorへいじ』と読みます。
なんで『みすず』と読まれているのかは不明です。
お酒を入れる容器で口の部分がすぼまっているもののことをいいます。
矢立杉
国指定天然記念物の矢立杉。
武田信玄が榛名山麓の箕輪城攻略するとき巨木に矢を立てて戦勝祈願したという伝説が残っています。
この杉がその巨木というわけです。
神幸殿
国指定重要文化財の神幸殿。
1859年(安政6)に建立された仏堂です。神社に仏堂、神仏習合ですね。
『良いか悪いかは置いといて、ほんと面白い文化だな~』といつも感じる。
双龍門
1855年(安政2)に竣工された国指定重要文化財の双龍門です。
4枚の門扉(もんぴ)に装飾されている龍が名前の由来です。
私は榛名神社境内でここの風景が一番好きです。
鉄灯籠
群馬県指定重要文化財の鉄灯籠。
鎌倉幕府を滅ぼした群馬の偉人である新田義貞公が寄進したと伝わる由緒ある灯籠です。
武士の世の質実剛健の気風に材料として鉄が合っていたためか、当時の工芸品には鉄製が多く、たとえば鉄製の仏像などはほとんどが鎌倉時代頃のものである。
榛名神社 鉄燈篭 案内板より
こういう情報はとてもありがたい、勉強になります!
国祖社・額殿
国祖社は1600年頃に榛名山西部にあった御祖霊嶽(榛名山の山神)にあったものを摂社(本社と関りが深い神を奉る社殿)として奉った社殿。
額殿は1814年(文化11)に国祖社に増築する形で建立された神楽の拝見所。
上部に多くの額を掲げていることから名付けられました。
両社殿共に国重要指定文化財です。
神楽殿
国重要指定文化財の神楽殿は1764年(明和1)に再建されたものです。
本殿の御祭神に神楽を奏上するため本殿の床と同じ高さに作られています。
神楽とは神様のために演奏される歌舞のこと。
榛名神社の拝殿、幣殿、本社と御姿岩
1806年(文化3)に再建された国指定重要指定文化財の拝殿、幣殿そして本社。
写真一枚目が拝殿で写真二枚目の右奥が本社、拝殿と本社を繋ぐ通路が幣殿です。写真三枚目は御姿岩と呼ばれ内部に本社(御神体)が入り込んでいる形になっています。
榛名神社の御祭神は火之迦具土神(カグツチ)と埴山姫(ハニヤス)。イザナギ、イザナミから生まれた火の神と土の神です。
神聖なこの場所はまるで現実から離れた別空間へ移動させたかのように感じさせます。言葉では説明しにくいですが、本当に素晴らしい場所なのです。榛名山付近に来ることがあるなら絶対行くべし!そして伊香保温泉に入って眠るがいい。
それではおまけで榛名神社境内にあるその他のスポットについてご紹介します。
時間のある方は見ていって下さい。
榛名山番所
榛名山番所は1631年(寛永8)に設置され、1869年(明治2)に廃止されました。
幕命により榛名山別当職が取り締まりを行っていたそうです。
松露庵句碑
説明板には、
俳聖松尾芭蕉を頂点に松露庵の系譜につながる俳諧のながれを表した句碑です。芭蕉の句を中心に配し涼兎(りょうと)、乙由(おつゆう)、柳居(りゅうきょ)、鳥酔(ちょうすい)、左明(さめい)、烏明(うめい)、二世鳥酔(にせいちょうすい)、坐来(ざらい)の句が左・右・左という順で彫られています。鳥酔以下が松露庵社中の庵主です。碑は波状の襞(ひだ)を生かした自然石で、形から扇面に見立ててつくられたものと考えられます。
現地案内板より
と書いてありました。
すみませんよくわからないです…。
榛名川上流砂防堰堤
2006年(平成18)に登録有形文化財に登録された榛名川上流砂防堰堤です。
登録有形文化財とは重要文化財指定制度だけでは捌ききれない日本の重要な建築物の消滅を守るために作られた登録制度です。
明治期から昭和初期において榛名川は土砂災害に悩まされました。
そして1936年(昭和11)に国は砂防事業を開始し1955年(昭和30)にこの砂防堰堤が完成されました。
高さ15mの堰堤は石と石の間にコンクリートを混ぜて積み上げ造られました。当時としてはかなり高度な技術だったそうです。
ちなみに砂防堰堤奥にある変わった形をした岩は九折岩(つづら岩)と呼ばれています。
降雨竜祈願彫刻
小野関三太夫清繁という方が彫った竜。
雨乞い祈願のために掘られたようです。
本当は竜の全体像が彫られているのですが何故か尾っぽだけを撮影して満足してしまった私…。
そのとき何を考えていたのか自分自身を小一時間問い詰めたい。
秋葉神社
榛名神社の参道途中にひっそりと佇む鳥居があります。
鳥居から少し歩いたところに石祠があります。
さらに道は山へ続いているので登山します。
秋葉神社とは?
すると6基の石祠が。
秋葉神社は火之迦具土神(カグツチ)を主祭神とする神社で日本各地に点在しています。
明治期の神仏分離令が出されるまでは秋葉大明神という火伏(火消し)の神様が御祭神だったようです。
石の祠しかない理由は「燃えにくい=火伏」ということを知ったとき「なるほどなぁ~」と感心した次第で御座います。
石祠の裏にまだ道のようなものがうっすら残っている気がしたので進んでみます。
さらに10分(うろ覚え)登山すると岩塊の上に石祠発見。
ここが最後と来た道を戻ろうと考えたのですが、なんかまだ行ける気がする…。
両サイドが崖な尾根道なので落ちたら『さようなら』という危険な状況ですが、まだ何かある気がする。
もしかしたら榛名神社を上から見れるとか期待しながら道なき道を歩く。
やっぱりなんかありましたよ。これが秋葉神社最奥の石祠です。
あと石碑っぽいものが2基ありました。
帰宅してから調べてみてわかったことですが、どうやらここは榛名山城という小規模な城(砦)があったようです。確かに人為的に作られた堀切のようなものがあった気がします。その時はまさかここが城だなんて思いもしなかったので写真撮りませんでした…。(マダマダ甘いな)
2基の石祠から先に進むと…。そびえたつ岩の上に出ます。
榛名神社の真上くらいかな?恐ろしすぎて下なんかのぞき見できません。
思い出しただけで足がガクブルします…。
終わりに
『あまり人が入っていなそうだけど絶対何かあるぞ!』って場所はウキウキします。
普段は神社とかで祈願しませんが、こういう困難の末に見つけた祠なんかを見ると無意識のうちに合掌して『無事に帰れますように』と祈ってしまいます。
おしまい!