白井宿は群馬県高崎市から新潟県長岡市を結ぶ三国街道にあった宿場町です。
江戸から新潟に抜ける道なので当時はかなりの往来がありました。
当時の面影は殆ど残っていませんが白井宿をぶらり歩き、ついでに近くの白井城跡まで行ってきました。
住所は群馬県渋川市白井2318-1の辺りです。
白井宿と白井堰
白井宿の真ん中には堰(せき)が流れています。堰について調べてみるとダムのような水をせき止める構造物と出てきますが、ここでは用水路に近い意味だと思います。現在は群馬用水が流れていますが昔は雨水や井戸の水が流れる溝だったようです。
井戸が掘られたとき水底に虎に乗った薬師如来像が見つかったという伝説があります。百年に一度とないおめでたいことだということでお堂を建てたそうです。
別名だるま石、あぶら石とも呼ぶそうです。力自慢競争で使われたとのことですが10人いたとして2~3人しか持ち上げられなかった重い石です。
土蔵造り(どぞうづくり)の家並みです。土蔵とは土で出来た壁を漆喰(消石灰)で仕上げた伝統的な建築様式。
北向地蔵尊石堂。中は見れませんでした。町の真ん中ににあり町の繁栄を願う人々の信仰が表れています。左下に窪みのある石があるのですが手洗い石といい、この水で眼を洗うと眼病が治るといわれてきました。
延命水の井戸。飲むと長生きできるといわれたのかな?
羅漢は阿羅漢のことです。尊敬に値する人、悟りに達してもう学ぶことのない人たちのことですね。先霊と井戸の成功を祈り十六羅漢の供養を行ったことから命名。
宮本町の井戸。町の一番南にある井戸。
白井城跡
室町時代から江戸時代初期(1623年廃城)の城。
利根川と吾妻川が合流地点にあり利根川方面が白井宿、吾妻川方面が断崖。崖を利用して造る城を崖端城(がけばたじょう)と呼びます。
他の群馬県の城と同じで城主がコロコロ変わっています。白井長尾氏(築城)→上杉氏→武田氏→後北条氏→徳川氏(廃城)という感じです。
こんな感じの道を歩いていきます。
帯郭は郭をさらに囲う郭です。
三日月掘。
馬出(出撃時の出入り口)の前に敵からの侵入や城内を見づらくするために土塁を盛るのですが、その土塁の外側に掘った堀のこと。※丸馬出は土塁が半円なので必然的に三日月型になる。他にもいろいろな馬出があります。
枡形門(ますがたもん)。
第一門、第二門とあり間(四角形の空間)で敵をしとめるという必殺の門。
小高い山にぽつねんと石祠。
白井城についての説明。
本丸跡。
○○さんのご貴重な話
私が訪問したとき本丸跡で作業をしているご年配の男性がいらっしゃいました。
どういうきっかけで話をし始めたのかは忘れてしまいましたが30分近くこのあたりの歴史の話をしてくださいました。
・本丸は俺の土地だぜ!
・俺の家系は岐阜の斎藤道三と関係があるんだぜ!
・三日月堀は山本勘助が考えたんだぜ!
・1783年の天明の大噴火が吾妻川、利根川の流れを変えたんだぜ!
・子持村はコンニャクが有名。だけど本丸跡は軽石が少なく栽培に向いていないんだぜ!
・昔の人は城から脱出するとき井戸に大切なものを捨てていくんだぜ!もしかしたらここを掘ったらお宝でるかもぜ!
ってな感じのことを仰っていました。
どこまで本当か知りませんが。
ありがたいことにおじいさんは車が停めてあった近くの駐車場まで送ってくれました。
感謝です!
こういう出会いがあると旅は一気に楽しくなりますね。
おしまい!