兵庫城は戦国時代に織田信長家臣の池田恒興によって築城されました。
江戸時代に入ると尼崎藩の領になり陣屋が置かれます。
尼崎藩は建部氏から始まり戸田氏、青山氏を経由して桜井松平氏の松平忠興の代で明治時代を迎え廃藩になりました。
明治維新後、城跡に兵庫県庁が設置されましたが、すぐに別の所に移動されます。
そして1875年(明治8年)、新川運河が開削され城跡の殆どが川底に沈められてしまいました。
兵庫城の名残?
一部残っていた陸地にはイオンモール神戸南が建っています。
建設前に行われた発掘調査で石垣などが出土しました。
上の写真の石垣は当時使われていたであろう石を積み重ねたものです。
兵庫城の案内板!
詳細は↑の説明板を見てください。
当記事、この案内板があれば全て蛇足な気がしてきた…。
今もこの地下に石垣などの遺構が保存されているとのこと。
イオンモール神戸南では発掘調査で出土した遺物が常時展示されています。
私は早朝訪問だったため見学出来ませんでした。
残念。
終わりに
眼に映る遺構は殆ど残っていませんが、説明板が充実していたので満足です。
いちのまる
遺構を間近に見れるほうが有意義に決まっていますが、説明板だけでも『昔、確かにここにあった!』と想像出来れば、それはそれで楽しいと思うのです。
おしまい!