宇都宮の起源。東国を治めた豊城入彦命が祀られる二荒山神社に参拝【栃木の旅】

二荒山神社

宇都宮の街中に堂々と鎮座する宇都宮二荒山神社。

栃木県(下野国)の発祥に関わる由緒ある神社です。

どのような歴史があるのか見ていくことにしましょう。

 

 

祀られている豊城入彦命とは

二荒山神社

主祭神の豊城入彦命は第10代目の天皇・崇神天皇の皇子で栃木県(下野)と群馬県(上野)の始祖とされる人物(神様?)です。

四十八年春正月己卯朔戊子天皇勅豐城命活目尊曰汝等二子慈愛共齊不知曷爲嗣各宜夢朕以夢占之二皇子於是被命淨沐而祈寐各得夢也會明兄豐城命以夢辞奏于天皇曰自登御諸山向東而八廻弄槍八擊刀弟活目尊以夢辞奏言自登御諸山之嶺繩絙四方逐食粟雀則天皇相夢謂二子曰兄則一片向東當治東國弟是悉臨四方宜繼朕位四月戊申朔丙寅立活目尊爲皇太子以豐城命令治東國是上毛野君下毛野君之始祖也

日本書紀 巻第五 崇神天皇より

上記の引用は崇神天皇が豊城入彦命と活目尊(後の垂仁天皇)のどちらが跡継ぎとして相応しいかを二人が見た夢から占うシーン。

黄緑の部分が豊城入彦命の見た夢で『御諸山に登った。東に向かって槍を八回突き、刀を八回打った。』といった内容。青の部分が活目尊で『御諸山に登った。四方に縄を張り粟を食べる雀を追っ払いました。』という夢でした。

崇神天皇は活目尊を跡継ぎとし豊城入彦命には東国を治めるよう命令します。最後の一文で『豊城入彦命が上毛野君と下毛野君の始祖になった。』とあります。

上毛野君は古代に上野国(群馬)を下毛野君は下野国(栃木)を治めた豪族です。豊城入彦命が群馬と栃木の基礎を造ったとされる所以はここからきています。

 

宇都宮二荒山神社の始まり

二荒山神社

第16代天皇の仁徳天皇の時代、下毛野国は豊城入彦命の子孫とされる奈良別(ならわけ)によって治められました。

奈良別は先祖の偉業を称え豊城入彦命を荒尾崎(現在の下之宮)に祀りました。

そして838年に現在の場所に遷座されたと伝わっています。

これが宇都宮二荒山神社の起源です。

 

著名な武将たちの戦勝祈願所

二荒山神社
豊城入彦命が武道に秀でていたため戦勝祈願の神社になりました。歴史に名を残した武将が祈願しています。

・平将門の乱で活躍した藤原秀郷。(平安時代中期)
・前九年の役で勝利した源頼義。(平安時代後期)
・後三年の役の源義家。(平安時代後期)
・源平合戦の後、鎌倉幕府を開いた源頼朝。(平安時代後期~鎌倉時代)
・関ヶ原の戦い、大坂の陣で天下を治めた徳川家康。(室町時代後期~江戸時代)

などの人物の名前が二荒山神社の案内板にありました。

 

 

宇都宮の由来は二荒山神社から

二荒山神社
鎌倉時代に成立した吾妻鏡に下記のように書かれています。

(文治五年七月小)

廿五日 癸未 二品著御于下野國古多橋驛。先御奉幣宇津宮

吾妻鏡 巻9

『二品(源頼朝)は下野国古多橋にお着きになる。まず宇津宮にお参りした。』といった内容です。この宇津宮が二荒山神社のことで宇都宮の名の由来にもなっています。※諸説あります。

いちのまる
いちのまる

宇津(宮)って何だろう?

宇津は地名や苗字で存在していますが語源は不明です。

何らかの地形のことをいっているのではないかと思っています。

 

終わりに

北関東の歴史を知るうえで外せない宇都宮、二荒山神社の門前町として栄え今に至っています。

二荒山神社はパワースポットとしても知られているようです。

天下を取った武将が戦勝祈願した神社ですから『勝利』に関する御利益があるのかもしれません。

おしまい!

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