福知山城の前身は丹波の塩見頼勝が築いた横山城だといわれています。
織田信長から丹波攻略の命を受けた明智光秀は1575年と1579年に丹波攻めを行う。
第一次丹波攻めは敵将・赤井直正の活躍により大敗。
しかし1578年に赤井直正が病死すると明智軍は敵の黒川城の支城を次々に落としていき丹波を平定させます。
織田信長から丹波を拝領した明智光秀は横山城を大改修し福知山城を名を改めました。
城代に重臣の明智秀満を置いています。
1582年の本能寺の変。
ご存知の通り明智光秀の謀反によって織田信長が自害します。
知らせを聞いた羽柴秀吉は主の仇を取るため中国地方からもの凄いスピードで打倒・明智光秀と勇みます。
明智光秀と羽柴秀吉は京都と大阪の境にある山崎で戦いを繰り広げ秀吉の勝利で終わります。
光秀は居城の坂本城に落ち延びようとしますが、途中落ち武者狩りに刺され自刃しました。
信長を討ってから2週間経たないうちに光秀は討たれてしまいました。余りにも短い天下だったため三日天下といいます。
福知山城のパンフレットによると明智光秀死後から関ヶ原戦いまでの城主の変遷は、
2.杉原家次(1583年~1584年)
3.小野木重次(1587年~1600年)
としています。
小野木重次は関ヶ原の戦いで西軍に与し細川幽斎が守る田辺城を開城させる活躍をしますが、関ヶ原で西軍が負けたあと福知山城に籠城。
福知山城は幽斎の息子・忠興らの軍勢に包囲され開城、重次は捕縛され自害させられます。
関ヶ原の合戦後の城主は
5.岡部長盛(1621年~1624年)
6.稲葉紀通(1624年~1648年)
7.松平忠房(1649年~1669年)
8.朽木稙昌(1669年~1708年)
以後、明治時代に至るまで朽木氏が福知山を治め、1871年(明治4年)に廃城対象となり、2年後に発布された全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(通称・廃城令)で解体されています。
終わりに
以上が福知山城の歴史についてでした。
福知山城は明智光秀のイメージが強いと思うのですが(私だけ?)、在城期間はたったの3年なんですね。(光秀の居城は福知山城じゃないけど)
各城主を調べて詳しく書き連ねようかと考えましたが無駄に長くなりそうなのでやめました。
時間が取れたら追記するかもしれません。
おしまい!