中津城の城下町に寺町と呼ばれる一角があります。
そこには塀が真っ赤な合元寺、河童と縁がある円応寺、黒田官兵衛の末弟が開いたと伝わる西蓮寺、そして今回ご紹介する閻魔大王が祀られている圓龍寺など個性的で興味深い寺院が発見出来ます。
中津観光の目玉、中津城や福沢諭吉旧居が近くにあるので是非寺々が連なるこの寺町通りにも足を運んでみても良いかもしれません。
圓龍寺へのアクセス
自動車で向かうなら中津駅北口前の駐車場か福沢諭吉旧居(記念館)で駐車するのがよいかと思います。福沢諭吉旧居もついでに観光していきましょう。
中津駅北口から信号がある交差点を直進。すると小さな川が見えてきますので川に沿って左折します。50mくらい歩くと小さな交差点がありますので右折。そのまま道なりに進むと道路が石畳になります。石畳通り(寺町通り)を左折すればすぐ到着します。
福沢諭吉旧居(記念館)からなら駐車場から左に出てしばらく歩くと石畳の道があるのでそこを左折して直進すれば着きます。
共に徒歩5~7分で行けるでしょう。
にっぽん旅行記
閻魔大王と圓龍寺
圓龍寺は寛永年間(1624年~1645年)に播磨龍野藩(兵庫)から中津藩に転封してきたときに建立された寺院。
宗派は阿弥陀仏を本尊とする浄土宗、山号は岡谷山、そして開祖は専譽上人です。
山門から入りすぐ左手に観音堂と閻魔堂があります。
観音堂には子安観世音菩薩、閻魔堂には閻魔大王と奪衣婆が安置されています。
圓龍寺の子安観世音菩薩
子安観世音菩薩は安産や子育てを見守っています。
子安には子供を楽に生むという意味があり観音さまだけでなく子安地蔵尊、子安神社など似たような意味を持つ信仰もあります。
写真の子安観世音菩薩の胸辺りをよく見て頂くと赤ちゃんを抱っこしていますね。
出産や子育てに悩みがある方は一度訪れて祈願してみるといいかもしれません。
圓龍寺の閻魔大王と奪衣婆
睨みを利かす閻魔大王と不気味な奪衣婆。
これ小さなお子さんが見たらビビッて泣いてしまうのでは?と感じました。
私自身これを夜間に見たらドキッとして心臓が止まるかもしれません。ってくらい迫力があります。
閻魔大王について
閻魔大王の起源はインド神話の冥界王ヤマ(ダルマラージャ・ヤマ)です。
冥界を支配する死者を裁く神様。その御姿は全身真っ青で水牛に乗っているとされています。見た目以外は日本で信仰されている閻魔大王と変わらないですね。
冥界王ヤマは仏教に取り入れられ地獄界の王となり、そのあと中国に渡り十王信仰(十の王による死後の裁き)に発展していきました。
日本の仏教では閻魔大王と地蔵菩薩が同一神とされ貴族から一般人まで広く信仰されていくことになります。日本各地にある地蔵菩薩は様々な意味を持ちますが、死後の裁きのため地蔵菩薩として私たちを見守る(監視?)役目を持っています。
嘘をつくと閻魔様に下を引っこ抜かれると子供の頃よく脅されましたが、これは生前に殺生や窃盗を行った死者が落とされる大叫喚地獄(十六小地獄)の拷問が由来しているのだと思われます。
恩を仇で返した罪人が落ちる地獄。あごに穴を開けそこから舌を引っこ抜く…。
お布施をするといってしなかった嘘つきが落ちる地獄。口と舌に熱した鉄串を刺されます。お前はもう喋るなということでしょう。
長でありながら賊と結託し悪さをしたものが落ちる地獄。熱した鉄の箸で舌を引っこ抜かれます。舌は何度も生え変わるそうです。
この辺りですね。まぁ、普通に生きていたら殆ど全ての人が地獄に落ちますね。
奪衣婆について
奪衣婆は死後の世界にある三途の川にいる婆さん。
三途の川の渡し賃である六文銭を持っていない死者の衣服をはぎ取る係員です。
はぎ取った衣服の重さでその人がどのような人生を歩んできたのかが分かり死後の裁判の材料とするそう。
日本の民間信仰では疫病、特に咳止めのご利益があると伝えられお堂が建てられました。
圓龍寺と閻魔大王の関係について
下毛郡金谷の中津藩士が旗本のところで勤めていた。ある日、旗本の家にいた娘を奪い山中に逃げ込んだとき、なんと娘が鬼女に喰われる。途方に暮れお堂に安置されていた閻魔大王に祈念しているうちに罪の重さを酷く感じそこから離れられない。ずっとここにいるわけにもいかないのでお堂の閻魔大王の頭を彫刻に写し背負い大阪の彫刻師に胴体を彫ってもらう。海路で高瀬村に戻り草庵を造り閻魔大王を安置し祈る。しかし罪の意識は晴れず遂には帰依する。ただひたすらに阿弥陀仏に縋り念仏三昧の日々を送る。そして圓龍寺に閻魔堂を建立しここに大王を移す。
圓龍寺案内板より(私の超訳)
作成年月などの詳細はわかりませんが、結構昔に彫られた彫刻なんでしょうね。
奪衣婆については何も書いてありませんでした。
終わりに
日本の民間信仰は複雑ですが調べてみるとなかなか興味深いです。
私たちの先祖たちが何を思って過ごしていたのかを振り返ってみると日々見る風景がそれまでとは違って見えることがあります。
たまにはそんなことを考えながらまったりと休日を過ごしてみてはいかがでしょうか。
おしまい!