茨城県の牛久市には浄土真宗東本願寺派が建てた巨大な阿弥陀仏・牛久大仏があります。
全長はなんと120m!
青銅(ブロンズ)立像としては世界最大でギネスブックに載る程の大きさです。
どんなものかと?ずっと気になっていたので訪問してきました!
大仏内部は展示場になっているのでそれも含めてご紹介します。
それでは参りましょう!
牛久大仏までのアクセス方法
自動車なら圏央道を利用するのがわかりやすいです。
阿見東インターチェンジを降りて突き当りを左折、下久野の交差点を右折すれば着きます。下道はややこしいのでカーナビorグーグルマップで牛久大仏と調べて行くのが無難です。
電車ですとまずJR牛久駅を降りて東口2番乗り場に行き牛久大仏・牛久浄苑かあみプレミアムアウトレット行きに乗車すればok!!かなり巨大な大仏なので遠くから見えます。最悪迷ったら大仏方面へ向かえばいつか着きます。
牛久阿弥陀大佛(通称・牛久大仏)
全体像はこんな感じです。
霊園内につくられた大仏なので周りはお墓です。
牛久大仏を設置した浄土真宗東本願寺派とは?
浄土真宗は親鸞聖人を開祖とした仏教団体です。
親鸞は浄土宗の法然上人の教えをただひたすらに実践していた坊さんで本人は新しい宗派を創る気などなかったようです。
ちなみに戦国時代に信長に逆らいまくった本願寺氏は親鸞の子孫。
さて、本願寺といえば浄土真宗本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)が有名ですね。
今回の浄土真宗東本願寺派は真宗大谷派が内部分裂(お東騒動)することによって生まれた比較的新しい宗派のようです。少し調べてみましたがお東騒動はかなりややこしい。
お東騒動について
1969年に時の法主、大谷光暢が内局(宗の運営を行うところ)に事前承諾することなく管長職だけ息子の光紹に譲ると言い出したことがことの発端。これを開申事件といいます。
管長職の職印は真宗大谷派の代表者の印鑑なのでそう簡単に渡すわけにはいかないと内局は大谷家に訴訟を起こします。実際に印鑑を悪用されて国宝の教行信証が行方不明になったり宗派の土地が担保になったりやばかったらしいです。
そして1980年に大谷光暢が宗派の代表権を内局に渡すことを条件に和解。これにより今迄絶大な権力を握っていた法主が主権者から象徴に変わりました。
翌年の1981年に大谷光暢の息子光紹が住職をしていた東京のお寺を真宗大谷派から分離して1988年に浄土真宗東本願寺派を結成しました。以上!
あの世の親鸞上人はどう思っていることか…。
あの世があったとしたら親鸞聖人は戦国時代の本願寺氏やお東騒動のことをどう思っているでしょう?
きっと、居た堪れない気持ちになっているでしょう。
私は浄土真宗そのものについてはどうも思っていませんが、親鸞は大好きです。
高校生のときに出会った歎異抄という書籍に救われた思い出があるからです。
原文はなかなか難解なので(私にとっては)現代口語訳がセットで付いているのをおすすめします。私は↑の本を買って大事に保管し心がしんどくなったら読んでいます。
彼自身については↓をお読みください。親鸞が流刑になった際に上陸した地へ訪問した時の記事です。
大仏の内部
話を牛久大仏に戻します。お次は大仏の中!
大人:800円、小人:400円です。
※季節によって変わるみたい。
大仏の骨組み縮小模型。
大仏の作り方。
実物大模型。
足の指でこの大きさです!
ここが85mの展望台。霊鷲山(りょうじゅせん)の間です。
釈迦が無量寿経や法華経を説いた山とされています。
行きはエレベーターで昇るのですが、帰りは霊鷲山の間から階段で一下層降り必ず売店の前を通るように作られています。
店員さんの目が若干気になるものの華麗にスルーしました。
終わりに
大仏から去り近くの牛久本廟へ。
ここには親鸞聖人から歴代法主の御真骨が収められているそうです。
まぁ観光地としてはなかなか面白い場所でした。
おしまい!