太閤ヶ平(たいこうがなる)は羽柴秀吉が鳥取城を攻略するため陣を敷いた場所です。
土塁や空堀で囲まれた本陣跡が残存し【鳥取城跡附太閤ヶ平】という名で国の史跡に指定されています。
太閤ヶ平へのアクセス
鳥取東照宮(樗谿神社)に登山口があります。
鳥取城山上ノ丸からも行けます。
いずれにせよ、かなりの距離を歩きます。
いちのまる
私は『鳥取城登山口(9:30)→鳥取城山上ノ丸(10:00)→太閤ヶ平(10:35)→鳥取東照宮(11:20)』のルートで行きました。時間は凡そです。
現地案内板より引用
こんな感じの陣だったようです。
土塁跡がはっきりと確認できます。
土塁と堀。
あまりにも立派な陣跡なので、秀吉が信長を招き入れるために陣を敷いたという説があるそうです。
太閤ヶ平の碑がありました。
『天正九年秀吉鳥取城攻畧ノ本陣址 太閤ヶ平』と刻まれています。
終わりに
現地案内板より引用
鳥取城が完全に包囲されています。
西から来る可能性のある毛利軍を迎え撃つ陣形でもあります。
籠城側は山から無数に立ち上る狼煙を見て戦々恐々と震え上がったことでしょう。
援軍を期待し暫く抵抗しましたが、遂に兵糧が尽き果て餓死者が続出しています。
鳥取城主・吉川経家は自らの命と引き換えに城兵を救うことを約束させ降伏、そして自刃。
こうして鳥取城の包囲は解かれることになります。
おしまい!