篠山城は江戸時代に入ってから築かれた平山城です。
1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで勝利を治めた徳川家康は征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開きます。
様々な問題を抱えてはいたものの、この時点で徳川氏に対抗するほどの力を持つ大名はいませんでした。
といっても最後まで何が起こるかわからないのが世の常です。
勢力は衰えたものの豊臣の名は偉大であり、何かをきっかけに息を吹き返す可能性があります。
これを滅ぼさなければ徳川の天下はやってきません。
慎重な家康は最後の詰めを誤らず、1615年(慶長20)、大坂夏の陣で豊臣秀頼を倒し、265年にも亘る天下泰平の世を築き上げたのです。
篠山城は1609年(慶長14)に山陰道の要所であった篠山盆地の丘陵・笹山に築かれました。
築城の理由は『大阪城を拠点とする豊臣氏の包囲』『西国の諸大名への牽制』だったとされています。
普請総奉行は池田輝政、縄張は築城名人の藤堂高虎が担当。
加藤嘉明や福島正則などの外様大名に築城工事を任せることによって外樣の経済力低下を狙いました。
その後、篠山城は西日本の諸大名を抑える城として、松井松平氏、藤井松平氏、形原松平氏、青山氏といった信頼のおける譜代大名が歴代の城主を務め明治を迎えます。
写真の建物は復元された大書院です。
1873年(明治6)の廃城令によって建物が壊されていくなか大書院だけは壊されず残されましたが、1944年(昭和19)の火災によって焼失してしまいました。
終わりに
以上が篠山城の歴史でした。
いちのまる
大書院に入りたかったのですが、遅い時間に訪問したため閉館していました。
次、訪れることがあれば見学したいものです。
おしまい!