国立市は立川崖線(北)と青柳崖線(南)からなる段丘上にあります。
崖線からは澄み切った湧き水が流れ、様々な植物が生い茂り、野鳥や多様な水生生物が生息しています。
ひと気も少なくのどかな風景が広がっていますので、都会の喧騒に疲れてしまった方は休日にでも散歩に出掛けるとリフレッシュ出来ますよ。
矢川緑地保全地域
矢川緑地は矢川の起点となる湧水で立川崖線下にあります。のどかです。
大きい蛙がたくさんいました。
カルガモ。ひたすら地面、水中を突っついていました。ミミズでもいるのかな?
ふわふわしていてかわいいですね。
万願寺渡船場跡
1648年~1652年の間に開設されたといわれています。
多摩川に日野橋が架かる1926年(大正15)迄、住民や旅人の足として利用されました。
府中用水
現役の農業用水路。
いつ、どのようにして開削されたのかは不明だそうです。
『氾濫した多摩川が自然に作った流路をベースに開削されたのでは?』という説があります。
四件在家公園
2001年(平成13)に行われた四件在家地区の発掘調査で発見された遺跡群の一つ。
古墳時代後期(600年前半)のものとされ合計で10基発掘されました。
小高い山状の墳丘墓で形は円墳だったようです。
ママ下湧水公園
分かりにくいですが、ここから湧き水が出ています。
正面から。
こちらの湧水は青柳崖線から出ています。
『ママ』とは土地の言葉で崖線のことをいいます。
昭和初期まではホタルが見れたそうです。
ママ下湧水で遭遇。
鳥は詳しくないけど…。
調べた感じダイサギかな?首が見事なS字!
鳥に詳しい方教えて(コメント)いただけたら嬉しいです。
瀧之川学園
瀧之川学園は1891年(明治24)に石井亮一が創設した日本で最初の知的障害児者のための社会福祉施設です。
写真にはありませんが同施設内にある石井亮一・筆子記念館は国指定有形登録文化財です。
後援者として勝海舟、3代目理事長として日本資本主義の父・渋沢栄一といった著名人が関わったそうです。
城山公園
写真左側の青柳崖線上に城(館)があったようです。
城主は鎌倉時代初期の三田氏。
或いは源頼朝に仕え、後に浄土宗に帰依した津戸三郎為守の城郭ともいわれています。
脇道。
左側が城跡。右側は自然の丘。
城跡は住宅が建っていて見学できません。
土塁跡。
空堀跡。
土塁跡も空堀跡もちょっとわかりにくかったけれど『くにたち郷土文化館』の城郭図で確認したので間違いないと思う。
くにたち郷土文化館
いろいろと勉強になりました。
『里山だいすきガイドマップ』を200円で購入しました。
崖線巡りするならあると捗ります!
おんだし
矢川と府中用水(谷保用水)が合流する地点。
左がママ下湧水から。右が矢川。横に流れるのが府中用水(谷保用水)。
水温が低い湧水に住む魚と温かい用水に住む魚の両方が見られ、多くの生き物が集まるポイントになっています。
おんだし近くの畑内にあった測定石。
国立市域は1893年(明治26)に東京府へ移管される迄、神奈川県に属していたことからここに測定石が残されています。
おんだし近くにいた鳥。
コサギかな?
ママ下湧水で遭遇した鳥よりだいぶ小さいし。
谷保天満宮
谷保天満宮の拝殿。
御祭神は菅原道真公。菅原道真の三男・道武が父の死を偲んで尊容を刻み現在の府中市に鎮座したことから始まります。その後、津戸三郎為守が現在の位置に遷座しました。ってな感じのことが説明板に書いてあったのですが菅原道武って?調べても出てこないです。配流された時に名前を変えたのかな?
法然上人が津戸三郎為守のために送った手紙の中に菅原道武の名前が出ているようですね。 それでも真相はわからないのですが。
谷保天満宮の本殿。
一般的には『やほ』と読まれていますが、本来は『やぼ』と読むそうです。
崖線図を見るとわかるのですが、谷保天満宮は立川崖線と青柳崖線が交わる手前に位置しています。崖があってすぐまた崖がある感じです。
※厳密に言うと交わるのはもう少し東です。
谷保天満宮ではたくさんのニワトリが出迎えてくれます。
近づいてもあまり逃げません。完全に人間慣れしています。
これは…。軍鶏?矮鶏??雑種???毛並みはかなりいいです。
常盤の清水
谷保天満宮の裏にある湧水です。
かつては豊かな水量だったそうですが、どこから湧いているんだろう?って感じです。
ザリガニが沢山いました。
厳島神社
ここも谷保天満宮の裏にあります。
厳島神社と言えば宗像三女神ですね。
厳島神社の鯉。
厳島神社の亀。
みんなで日向ぼっこしててかわいい。
終わりに
谷保天満宮にある梅園で梅を撮影したのですが…。
ぼやけてしまってとてもお見せできるものではありませんでした。
花って撮るの本当に難しいです。
国立市編は以上です。
また何かの機会に訪れたら追記していきます。
おしまい!