日本ワインといえば山梨県の勝沼が有名です。
『何故勝沼が有名なのか?』と問われれば日本ワインの歴史の源泉がそこにあるからでしょう。
正直な話、上質かつ安価で美味しいワインは山梨県勝沼以外でも多く生み出されています。お隣の長野県、北海道、九州の熊本や宮崎でも個性を生かした素晴らしいワインが造られています。
勝沼のワインだから美味しくて売れるという時代はすでに終わっています。日本ワインの世界でも以前ほど勝沼を重要視しなくなりました。
それでも当分の間は勝沼が日本ワインのTOPに居続けるでしょう。なぜなら明治期に本格的ワイン醸造が開始された勝沼と黎明期に関わった人物と土地の偉大さは記憶から消えないからです。
ってなわけで勝沼のワインに関する場所を少しだけ周ってきましたので紹介します。
大善寺
柏尾山大善寺にはぶどう寺の二つ名があります。
718年(養老2)に日本の僧・行基が甲斐の国を訪れ柏尾山で修行した時のことです。行基が眠りにつくと夢の中でぶどうを持った如来が現れました。朝起き忘れぬよう夢の如来を彫って安置したのが大善寺の始まりです。
また行基は薬としてぶどうをここに伝えたという伝説も残っています。これは日本固有品種の甲州誕生話として有名です。甲州種の誕生はこの大善寺説と雨宮勘解由が山道で甲州種を発見して植えた説の二つが知られています。
甲州種起源説はソムリエ資格試験でもよく出題されています。
甲州はヨーロッパの品種が中国あたりでアジア系のとげぶどうと交配し日本に入ってきたのが定説ですが実際どうやってやってきたのでしょうかね?
鳥居平
鳥居平の頂上から勝沼を撮影。
鳥居平は有名なぶどう畑でワインも造られています。ただワイン用のぶどうより生食用のぶどうに適した土壌という話を噂で聞きました。
毎年10月の第一土曜日に行われる甲州市かつぬまぶどう祭りで鳥居焼きが行われます。
ぶどうの丘
ぶどうの丘には宿泊施設や温泉があり旅行者でに賑わっています。
また様々な生産者の勝沼ワインが販売されているのでワイナリーにまわる時間が無くてもここで完結できないこともないです。
まぁ直接ワイナリー巡りした方が楽しいですけどね!
土屋龍憲と高野正誠
左側が土屋龍憲(ちやりゅうけん)、右側が高野正誠さん(たかのまさなり)。
両者は日本ワインの歴史上押さえておきたい重要な人物です。
1877年(明治10)に大日本山梨葡萄酒会社(村葡萄酒会社)が設立されました。ワイン造りを本格的に出来る人材そして指導する人間を育成するために若い土屋龍憲と高野正誠がワインの本場フランスへ『一年以内に習得できなければ自費で勉強してこい』という条件付きで留学させます。
1877年(明治10)12月28日に栽培、醸造を学ぶためトロワに向かい1879年(明治12)3月23日に帰国。と記録に残っています。移動に恐ろしく時間がかかることを考慮すればどうにか間に合ったのかな?
残念ながら1886年(明治19)に大日本山梨葡萄酒会社は解散してしまいますが、二人はその後もフランスで得た知識を広め日本ワインの基礎を作りました。
ちなみに大日本山梨葡萄酒会社はメルシャンのルーツです。
終わりに
塩山市の塩ノ山。
ここも良質なワインを造る生産地の一つです。
塩山の名の由来は四方から見える山→しほうのやま→しおのやまだそうです。
山梨で塩と聞いて思い出したのは武田信玄と上杉謙信の美談『敵に塩を送る』と関係があるのかな?と連想しましたが、全く関係なかったようです。
おしまい!