日本遺産の足利学校は日本一古い学校として有名です。
室町時代中期には日本各地から生徒が集まり兵法や易学など様々な学問を教える関東最大の学府になりました。江戸時代に平和が訪れ学ぶべき学問が変わると足利学校は徐々に衰退していき、古書を所蔵する図書館のような施設に変わりました。
明治5年に廃校。建物の一部は撤去されてしまったものの、有志による保存活動が行われ現在までその姿を残しています。
それでは足利学校を見ていきましょう!
足利学校へのアクセス&その他情報
北関東自動車道の足利ICを下りて右折し国道293号線へ。
そのまま道なりに進むと青看板が足利学校まで案内してくれます。
駐車場は太平記館観光駐車場が近いのでおすすめします。
駐車料金は無料です。詳細は下のマップをご覧ください。
参観料金
・高校生:210円
・中学生以下:無料
支払いにSuicaやPasmoが利用可能
※2021年12月現在
参観時間
・10月から3月は午前9時~午後4時
※2021年12月現在
足利学校の歴史
足利学校の起源は幾つかの説があり、はっきりとしたことはわかっていません。
歴史が古いものから並べると。
2.平安時代、小野篁によって創建された。
3.鎌倉時代、足利義兼によって創建された。
4.室町時代、室町時代に関東管領の上杉憲実が創建した。
といった感じです。
1.の説は国府に併設された学校だったという説で地名や蔵書印、発掘されたものから仮説を立てています。しかし『下野国の国府は現在の栃木市にあり足利から移設したという記録が残っていない』『蔵書印は偽造なのでは?』といったことからこの説はあまり重要視されていません。
2.は『朝廷と閻魔大王に仕える野狂・小野篁』が創建したという説。小野篁を調べても足利との接点がないですし、創立年月が島流しされていた時期と重なっているようなので有力視されていません。何故このような伝説が残っているのかを調べてみたら面白そうです。
3.の足利義兼は源頼朝に仕えた武将で足利荘を治めていました。室町幕府を開いた足利尊氏の先祖ですね。足利出身の人物なので有り得そうな話ですが、決定的な証拠が残っていないため何ともいえないようです。
4.の時代に初めて学校の存在が明らかになります。関東管領の上杉憲実が学校を整備し教育を重要視し発展させました。これに関しては間違いないのですが、既に学校は存在していて彼が更に進んだ教育機関にしたのではないかと考えられています。上杉憲実が学校を開いたという説もあるようです。しかしそれは極論かもしれません。
終わりに
戦国時代に海外からやって来たフランシスコ・ザビエルやルイス・フロイスは足利学校の噂を聞いて『日本にはすげー学校があるよ!』的なことをいったとか。
この像は上述した足利学校の創設説に登場した小野篁です。
平安時代初期の公家で、百人一首では参議篁と称されています。
わたの原 八十島かけて 漕き出でぬと 人には告げよ あまのつりぶね
百人一首 参議篁
とある理由から遣唐使を乗船拒否し、隠岐国に流罪となりました。(その後赦され戻ってきている)
罪人として流されゆく道中に詠ったのが上の和歌です。
おしまい!