伊豆半島の最南端にある石室神社。石室権現とも呼ばれています。
『石廊権現と千石船之由来』が社殿に掲げられていたので引用します。
祭地は相模灘と遠洲灘(ママ)の中間に位し東風西風共に筆舌に絶し又陰れし岩礁多く黒潮近くを走ると云ふ難所で在る
或る期播洲濱田港所属の塩運搬の千石船が此の岬に差掛りし時、折悪く黒雲海面をはい雨は篠を突き波浪は峰渓をなす船は最早轉覆有るのみと見られ船主船子共になす技も無く一心に見えぬ対岸の石廊権現に向いて無事江戸に着く事が出来得るならば帆船の命で在る帆柱を奉納すると誓願を込めるとさしも荒狂った波もやがて凪いで無事江戸に着く事が出来荷揚げを済し巨富を得て帰途に付く航海日和に恵まれ往路の出来事も忘れ此の岬の沖を過き様とした
だが不思議な事に満帆に追風をはらみ全櫓充分に水をかくも船は一向に進まず坐礁した如くにてやがて次第に風雨強く狂暴なる暴風雨と急変し船子等の不安は往路の期に増して激しく船主は往路の期の願事に思いを致し木の葉の如く震る船上にて斧を以て、帆柱を切倒し海に投じ石廊権現に奉納されたすると不思議なる事に帆柱は荒れ狂う大波の波頭に乗って幾十丈の高き社殿の御前に供えた如く打上げしと同時に波も静まり船は櫓を以て走り去りしと傳えられて居り今直當社殿の基礎となりて此の建築物を支えて居り當社の御神威の高きと共に此の神技を伊豆の七不思議の代表的な神話として廣く風光名美さと共に日本全国に知られ居る
帆柱材質檜 長サ六間約12m
石廊権現と千石船之由来より
船乗りが荒れ狂う海に帆柱を捧げたら助かったというお話。その帆柱は石室神社の基礎となって今でも支えているという伝説ですね。伊豆七不思議のひとつに数えられているそうです。
石室神社から数十メートル先の海に突き出た場所に熊野神社があります。
終わりに
熊野神社は縁結びのご利益があると信じられています。
地元名主の娘・お静と漁師の幸吉は恋仲でしたが、身分の差を理由に引き裂かれ幸吉は神子元島に流されてしまいました。
遠く離れた2人は火を焚いてお互いの安否を確かめ合ったそうです。
ある日、神子元島の火が途絶えたので、お静は幸吉が心配になり小舟を出して神子元島に向かいましたが、舟に慣れていないお静は海上で体力を失い衰弱してしまいました。
石廊崎の火が消えていることに気づいた幸吉は不安になって海を眺めると小舟が流されているではありませんか。
『もしかして……』すかさず幸吉は海に飛び込み、お静を助け出しました。
その後、2人は末永く幸せに暮らしたそうな。
お静が火を焚いた場所がここだと伝わります。
おしまい!