河童たちが寺を火災から守ったという伝説の残る寺町通りの円応寺について【大分の旅】

黒田官兵衛が開いた中津城下には寺町という一帯があります。

これは寺院密集地帯のことですが中津の寺町には他に見られないちょっと変わった寺々が見られます。

呪われた赤壁の合元寺、閻魔大王ゆかりの圓龍寺、そして今回紹介する円応寺。

円応寺はとある妖怪ゆかりの寺だということで少し気になり訪問しました。

それでは紹介いたします。

 

鏡智山 円応寺

円応寺

円応寺は浄土宗寺院で中津の領地を与えられた黒田官兵衛が1587年(天正15)に開基、見道大和尚が開山しました。

黒田氏が福岡に加増転封したあと小笠原氏、奥平氏と各藩主に大切にされた由緒ある寺院です。

 

河童の墓

円応寺

何故、河童が由来する寺と伝わるのか?

円応寺の説明板を見てみましょう。

江戸中期当寺の寂玄上人が河童共を佛の道に入らせ修行の末、河童の頭目三匹に戒名を授けた。河童たちは上人への御恩返しに寺を火災から守ったという。

円応寺 説明板より

この五輪塔には河童の墓という名前が付いています。

一説によると野村太郎兵衛祐勝の墓といわれています。

野村太郎兵衛祐勝は黒田氏の家臣で宇都宮(城井)鎮房誅殺事件で鎮房に一太刀浴びせたと伝わる人物です。

 

河童の池

円応寺

寺の瓦には水の印あり河童に因んで雨乞いの儀式が行われました。

現在まで河童たちの戒名が彫られた版木が残っており、法要のときには必ず河童頭目の回向を行っているそうです。

回向は成仏を祈って死者を供養すること。

 

終わりに

当然、河童は架空の存在ですが、寺の謂れには深い意味があるのでしょうか?

公には出来なかった何かが和尚の下で修業し功徳を積んだという風に考えられなくもない気がします。

気になりますが、きっと答えは分からないでしょうから、あれこれと想像を膨らませて脳内で楽しむくらいにしておこうかと思います。

おしまい!

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