遠征で鹿児島県に訪れた際にたまたま通りすがった牛掛公園。
南北朝時代にこの周辺で合戦があったらしく公園の片隅に説明板がありました。
牛掛灘の戦いとは如何なるものだったのでしょうか?
牛掛灘の合戦は1347年(南北朝時代)に島津貞久と谷山郡司・谷山忠高の間で起きた争いのようです。
いちのまる
南北朝時代は日本各地の勢力が南朝と北朝に分かれ争った時代です。
詳しく説明し始めると膨大な文字数になるので割愛します。
後醍醐天皇から征西大将軍に任命された懐良親王(後醍醐天皇の息子)は吉野から四国を経由して薩摩に上陸。
そして谷山隆信・忠高の一族が守る谷山城に入ります。
看板の説明と時代背景を鑑みるに牛掛灘の合戦は、
・懐良親王の谷山城入りを知った島津貞久がそれを攻撃しようと挙兵する。
・波之平まで進むが谷山氏に退路を断たれる。
・貞久のピンチに弟の忠直の援軍が駆けつける。
・どうにか谷山軍を打ち破ることに成功する。
・波之平まで進むが谷山氏に退路を断たれる。
・貞久のピンチに弟の忠直の援軍が駆けつける。
・どうにか谷山軍を打ち破ることに成功する。
ってな感じ。
島津貞久が谷山氏を打ち破って勝ったみたいな感じになっていますけど、貞久の目的は懐良親王の九州平定を止めることでしょうから懐良親王を守り切った谷山氏の勝利だと思います。
懐良親王はこの数年後に大宰府を一時的に制圧します。
終わりに
この合戦についての情報は殆どありませんでした。
まぁ、かなり昔のことですし、史料が残っていないのかもしれません。
でもこういうマニアックな史跡を残していこうする自治体の姿勢は大好きです。
おしまい!