九州地方

別府市

別府温泉が戦場に?豊後大友氏最後の合戦・石垣原の戦いについて

天下分け目の合戦、関ヶ原の戦いは各地の大名や浪人らの思惑が入り乱れた壮大な物語です。九州では豊後大友氏の再興を目指す大友義統と九州統一を狙った黒田官兵衛が石垣原で死闘を繰り広げました。 結論からいいますと黒田官兵衛の勝利で大友義統の再興の夢は叶いませんでした。それでは石垣原合戦古戦場を紹介します!
臼杵市

大友宗麟が国崩し(大砲)をぶっ放して守り切った臼杵城に行ってきた!【大分の旅】

臼杵市の城下町は風情があります。古めかしさの中に新しきを取り入れた街並みには感心するばかりです。歴史が好きな方は勿論、それ程興味のない方でも、あの街並みを散策するだけで充分に楽しめることでしょう。さて、そんな城下町の中心にあった臼杵城とはどんなお城なのか?臼杵城の風景とその歴史について紹介致します。
九重町

九重”夢”大橋でジビエハンバーガーを喰らう!シシガーとシカガーの味は如何に?【大分の旅】

九重”夢”大橋は大分県の九重町に架かる橋梁です。173mという歩道専用の橋では日本一の高さを誇ります。高所恐怖症の方には恐ろしいスポットかもしれませんが、橋からの眺めは抜群に素晴らしい!橋の袂にはお土産屋や飲食店があり多くの観光客で賑わっています。特に注目すべき点はオリジナルのハンバーガーでしょう。
豊後大野市

大分おすすめ観光スポット・稲積水中鍾乳洞へ!日本最大級の水中洞窟ってどんなとこ?【大分の旅】

この鍾乳洞の原型が完成したのはおよそ2億数千万年前といわれています。そして約30万年前くらいから鍾乳石の発達が始まり、8万5千年前の阿蘇山大噴火によって水没してしまいました。それから長い月日が経ち、たまたま付近で遊んでいた子供たちが水中に穴を発見し、専門のダイバーが調査を行い昭和52年に観光洞として私たちの前に姿を現すことになりました。
臼杵市

日本一美しい鍾乳洞?!国の天然記念物の風連鍾乳洞へ行ってきた【大分の旅】

大分県の山中に日本で一番美しい記念物と評価される鍾乳洞があります。 洞の奥行きは500m、閉塞型の鍾乳洞で外気の侵入が少なく、風化作用されなかったため、記念物は光沢がよく、均整のとれた最も美しい形で成長し、純白に近いのが特徴です。(中略)そ...
木城町

耳川の合戦とは?大友vs島津の決戦をフロイス日本史から見る【宮崎の旅】

耳川の戦いは1578年に大友宗麟と島津義久の間で行われた合戦です。耳川で場所で起きたと思われがちですが、実際は高城という城を巡って争われました。この戦いで大敗を喫した大友氏は没落の一途を辿ることになります。今回はルイス・フロイスの日本史を参考にしながら耳川の戦いについて書きます。
佐賀市

江藤新平と生誕地と墓へ参拝。彼の人生と佐賀の乱について紹介しようと思う【佐賀の旅】

江藤新平は幕末から明治初期に活躍した佐賀県出身の政治家です。佐賀藩の七名の偉人『佐賀の七賢人』、明治政府に貢献した『維新の十傑』の一人に選ばれています。征韓論を巡る政争の結果起きたとされる明治六年政変で下野したのち、佐賀県に帰省し佐賀の乱のリーダーの一人として新政府軍と戦います。
玖珠町

水軍で有名な来島村上氏が治めた豊後森藩の名残、旧久留島氏庭園を歩く【大分の旅】

旧久留島氏庭園は江戸時代に豊後国(大分県)の『速水、玖珠、日田』を領した森藩の藩庁があった場所です。藩主は来島氏。戦国時代に瀬戸内海で活躍した村上水軍の一族であります。1601年に入封し明治維新まで森藩を治めました。今回は旧久留島氏庭園の風景と来島・久留島氏の歴史について書きます。
中津市

日本三大水城の一角・中津城へ!黒田官兵衛と城の歴史について【大分の旅】

中津城は豊臣秀吉の名参謀・黒田官兵衛(如水)が1588年に築城を開始し、そのあと入封した細川氏が拡張完成させた城郭です。現在の天守は摸擬建築で『天守は無かったのではないか?』といわれています。海水を引き込んだ堀を持つ中津城は日本三大水城の一つに数えられています。
鹿児島市

西郷隆盛に最も信頼された漢?寡黙の少将・篠原国幹について【鹿児島の旅】

篠原国幹は薩摩藩の武士、及び陸軍軍人です。戊辰戦争では薩摩藩三番小隊長として鳥羽伏見の戦い、上野戦争、奥羽征伐を転戦。その功績により陸軍大尉、次いで陸軍少将に任命されます。西郷隆盛が参議を辞職した際、篠原もそれに追随、西南戦争で一番大隊大隊長となり奮戦するも吉次峠で銃弾を受け戦死してしまいました。
鹿児島市

晋どん、もうここらでよか…。激動を生きた別府晋介の人生について【鹿児島の旅】

別府晋介は西南戦争の最終盤で西郷隆盛の介錯をした人物として有名です。彼は1847年に鹿児島県吉野村に生を受け、1877年に鹿児島県の城山で亡くなりました。今回、別府晋介誕生地と埋葬地の南洲墓地に行ってきました。1934年6月28日に発行された【近世名将言行録】を引用しつつ別府晋介の生涯を紹介します。
鹿児島市

桐野利秋誕生地と彼の墓地へ!人斬りと呼ばれた彼の人生について【鹿児島の旅】

西郷隆盛洞窟 案内板より引用 世に、桐野利秋ほど毀誉褒貶の定かならぬ人物も、また珍しい。 東郷 隆 著 九重の雲 第一章 唐芋侍より 桐野利秋が主人公の歴史小説【九重の雲】の冒頭。 毀誉褒貶と言うけれど、悪いイメージを持っている人の方が多い...
鹿児島市

村田新八誕生之地へ!『村田新八 西郷と大久保 二人に愛された男』を読んで【鹿児島の旅】

村田新八は幕末から明治初期に活躍した薩摩藩出身の政治家です。1877年に起きた西南戦争で西郷隆盛率いる薩軍・第二大隊大隊長として奮戦するも次第に追い詰められ、鹿児島の城山で西郷たちと共に命を落とします。【西郷と大久保 二人に愛された男 村田新八】を参考にしてその人生を振り返っていきます。
日田市

大分県で爬虫類を飼うならエキゾチックAIJAがおすすめ!【大分の旅】

日田市にある爬虫類、節足動物専門お店です。私はこちらのAIJAさんでコーンスネークというバリエーション豊かな愛らしいへびを3匹購入しました。店内ではへびだけでなくトカゲ、ヤモリ、タランチュラとイカす奴らが大勢待っています。好きな人には堪らない空間がそこには広がっています。
山都町

布田保之助が命を懸けて完成させた通潤橋の歴史について【熊本の旅】

通潤橋は江戸時代後期に用水確保を目的として築造された石橋です。白糸村(現・山都町)には緑川という大きな河川が流れています。しかし川は深い谷の底を流れていたため用水の確保に大変苦労したそうです。そこで惣庄屋の布田保之助(惟暉)は用水橋を架け谷の対岸から水を導こうと考えたのでした。